2016年06月01日

保存するということ

Facebookでシェアした記事があります。

「実家が町の重要文化財に指定されそうになったけど全てぶっ壊して新築した「そりゃ建て替えるわ」」

http://togetter.com/li/979810

その記事に対する僕の感じたことです

僕は学生時代に民家の調査に同行させていただいたことが何度かあるのですが、調査にあたり、なんでそんなことするのか?、と疑問に思われる住まい手さんも少なくなくて、そうした方に、その建物がいかに価値があるのかをご説明して説得する事がありました。

確かに価値がある、もう今となっては作ることのできないものですから、記録として残しておくことはとても大切だと思うのですが、そのために人の生活の中にドカドカと入っていく事になって、それって本当にどうなのかなと、その時、そういう疑問も抱えていました。

古いものを残してゆくことの大切さを住まい手さんにも十分に理解してもらってから調査が行われる場合は良いのでしょうが、どうしても全ての人の理解を得られているわけではなかった、ということですね。

その時に考えたのは、古いものを残して行くことは完全にいつの時にでも正しいのか?ということなんです。

調査にうかがったお宅では、屋根が杉皮葺きで、大学の先生が珍しいから残しなさいと言われて残していましたが、それが本当に良いことなのか?という事なんです。

残すか残さないか、それは誰の判断によるのか?学術的な価値も大切だが、それだけで残すという判断をしても良いのか?特に住まい手のいる建物を残す場合にはどうなのか?住まい手との歩み寄りが必要なのではないのか?

そんなことを、以前に考えていた事と、この記事が重なりました。

この記事の場合には、住まい手との歩み寄りがうまく行かず、最悪の結果を生んでしまったわけです。最悪の結果にしない、歩み寄りが出来たのではないか?歩み寄ることができなかったというのは、一方の持っている価値を押し付けてしまったのではないか?そこに大きな問題があるのではないか?

この記事をシェアして言いたかったのはそういうことなのです。

(初出 Facebook 2016年5月29日の投稿に対する自らのコメント)

投稿者 furukawa_yasushi : 15:26

空き家対策を成功させるために

各地の空き家対策を取材したり、空き家対策の相談を受けたりしていると、空き家対策というのは、コミュニティデザインなんだとつくづく思います。
そこに必要なのは、各方面のプロフェッショナルな人材と、その人材をつないで活力に変えてゆく、技術力と提案力、そしてコミュニケーション力を兼ね備えたマネージャーです。
ですから、マネージャーには、参加者の意見や考えを引き出してまとめ上げるファシリテーターの力量も求められます。
それぞれのプロフェッショナルな人材が一人でも欠けていると動きませんし、人材が揃っていてもマネージャーがいなくては動きませんね。
ただ、このマネージャーというのが、今までの職種のどれに当たるのか難しい新しい仕事。そのなかで、建築士がマネージャーをやるというのは、かなりリアルな展開だと思います。もちろん、すべての建築士にマネージャーが出来るというわけではないですし、残念ながらそれが出来るのはかなり限られた方なのだと思います。

(初出 Facebook 2016年5月10日)

投稿者 furukawa_yasushi : 15:21

シェアする家、開かれた住宅

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住宅という枠組み。物理的には屋根や壁に囲まれた空間。その中の人。人と人のつながり。家型に囲まれた人と人の集まりは家族。家族はある一方で、構成員それぞれが家という枠組みを超えて人と人のつながりをもつ。それはコミュニティ。

マイホーム主義が席巻し、自らの土地の囲い込みが加速して、場所を共有している感覚が薄れたここ数十年。同時に、住宅の乱立と都市部への集中で、地縁コミュニティが解体されてきた。住民がある程度若いうちは成立していたマイホーム主義も、高齢化が進むと成立するのは難しい。自らの土地の囲い込みによるマイホーム主義の価値観から、地域で共有してゆくシェアの価値観への転換が迫られている。若者たちはその変化に気づいている。

とすると、住宅とは何か?

新たなコミュニティを育む場所として、住宅は機能し始める。

私が設計した家の中でも、住まい手は自らの住まいを外に対して開いてゆこうと家づくりをされた方が少なくない。

友人が多く、20人以上呼んでパーティが出来るような広いリビング。主婦仲間とお互いの持っているスキルを教えあう場所。子供会の世話役としてみんなを呼ぶ場所。ご近所の奥様方と一緒にパンを作ったりクッキーを焼いたりする場所。仲間とショップが出来る場所。アートギャラリーとして時々開放されるリビング。時にはミニコンサートも出来る音楽スタジオのある場所。合唱団のパート練習が出来る場所。

どれも、今までの住宅の概念を超えて、しかし、地域のつながりを、人と人のつながりを育む場所を、住宅の中に作っている。それはすべて、囲い込みではなく、シェア。自らの場所をシェアしながらコミュニティに開放してゆく。

住宅が家族を超えたコミュニティを受け入れる場所になってゆく。

住宅とは住まい手の生活の場所である。住まい手の生活は家の中だけにとどまらない。家の中にそれを取り込む事で、もっともっと楽しい生き方が待っている。

(初出 Facebook 2016年5月9日)

投稿者 furukawa_yasushi : 15:18

空き家対策はイニシャルコストをかけない

空き家対策を取材していると、イニシャルコストをいかにかけず直せるかということと、空き家の運営活用をどうやって持続的にできるかが成功の秘訣と思える。ここで、必要なのはコストを掛けたフルリノベーションサポートというよりもフットワーク軽いセルフリノベーション。設計者のスキルとしては、耐震診断と耐震改修、断熱改修といった技術的なフォローとセルフリノベーションサポート。そして、運営活用に関するアドバイス。すでに、この世界に特化した設計者が活躍し始めている。
ただ、考えてみれば、このスキルは技術力と提案力ということであって、以前から新築の仕事においても設計者に求められていたスキルであり、つまりは、形を変えたにすぎないということにも気がつく。

(初出 Facebook 2016年5月2日)

投稿者 furukawa_yasushi : 15:13