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2007年03月11日

水無瀬の町家

[建築--architecture ]

建築家秋山東一さんがご自身のブログで紹介されていたので
八王子に行く都合に合わせてさっそく行ってみました。
「水無瀬の町家」は建築家坂本一成氏の第二作目。
一作目が「散田の家」。こちらは師(篠原一男)へのオマージュともとれる作風ですので「水無瀬の町家」を実質的なデビュー作とする向きも多いようです。

銀色に塗られたコンクリートの箱というと
かなり過激な物体としてとらえられがちですが、
木造で軽やかに屋根が掛けてありまして、
軒の高さを抑えて、周囲の中で実に控えめに存在しています。
出しゃばらない自己主張といいますか、そのわきまえた物腰に、すっかり感心してしばらく眺めていました。
藤森照信さんが、「原・現代住宅再見-3」でこの「水無瀬の町家」をとりあげていますが、開口一番、どうして右隣の家をいっしょに撮った写真が発表されなかったのだろうと言っています。
私が撮ってきた二枚目の写真を見ていただくと、わかりますように、坂本氏は右隣の古き町家を強く意識しているんですね。
建築が周囲の環境の中で生きてくるということが大切だという無言のメッセージがここにはあります。
同世代のポストモダンと呼ばれた人々の、周囲からいかに目立つかという、そういう攻撃的なところが、実は無い、というか、まったく逆にいかに街にとけ込むことができるかが問われているわけです。

次の写真は、そのことをさらに裏付けます。

なんと、その隣の町家と屋根勾配をそろえているわけですね。

一方、どうしたら、こんなに荒々しいコンクリートになるのかと思えるほどの
その表面的なテクスチャーは、強烈に見るものを印象づけます。

周囲の形を強く意識して
わきまえながら主張する。
そのアンビバレントとも言える存在の仕方がとても印象的でした。

水無瀬の町家(aki's STOCKTAKING)

手掛かりを求めて(MADCONNECTION)--iGaさんがいかにして水無瀬の町家の所在を突き止めたのか

水無瀬の町家(Things that I used to do.)
水無瀬の町家2(Things that I used to do.)---建築学科の先輩である河さんの思い

<蛇足>
私は、建築を武蔵野美術大学(通称「武蔵美」)というところで学びました。
その後、筑波大学の大学院に進み木造に目覚めるのでありますが
武蔵美に在学中、坂本先生から「図学」と設計課題を教えていただきました。
住宅なんてそれほど興味もなかった私が、ことさらに住宅を特別なものとして意識するようになったのは、坂本先生の存在がとても大きいことを告白しておきます。


※新しいホームページで情報更新中!!

投稿者 furukawa_yasushi : 2007年03月11日 21:25

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» 水無瀬の町家 from aki's STOCKTAKING
「水無瀬の町家」は建築家・坂本一成氏の仕事だ。 東事務所のスタッフだった時代、1971年に雑誌で見たのだった。その頃の「打ち放しコンクリート」は「やりっ... [続きを読む]

トラックバック時刻: 2007年03月12日 06:50

コメント

>どうして右隣の家をいっしょに撮った写真が発表されなかったのだろう
F森教授は都市住宅7109臨時増刊・住宅第1集を見ていないのか、忘れてしまったのか何れかでしょう。

投稿者 iGa : 2007年03月11日 21:58

F森教授もそそっかしかった、というわけですね。
それにしても、本として出版されちゃってるし、今更訂正もしにくいでしょうにね。
ただ、あの本は、論旨がしっかりしていないエッセイのような、絵画でいうと習作のような文章ばかりですので、まあそんなところか、ということなんでしょうか。でも、プロなんだしなあ、とも思いますね。(^_^;)

投稿者 fuRu : 2007年03月11日 22:04

当方の STOCKTAKING のトラックバック機能が壊れているので、記事本文中にリンクを追加しました。
「水無瀬の町家」の全面道路が旧街道で、隣の「町家」が並んでいたんだろうと想像していますが、ちゃんと街道を歩いてアプローチすると見えてくるみたいですね。furu さんの写真でそう感じました。
しかし、隣の家が残っていてよかった.......ハウスメーカーの家の並びでは、坂本氏の意図が忘れ去られてしまいそうですね。

投稿者 AKi : 2007年03月12日 07:35

隣の「町家」も建具と面格子が交換されているだけで、他の外観は「水無瀬の町家」の竣工当時と変わりませんね。
リビングの高窓から見える向かいの家も旧道に面して土間のある下屋が設けられているようで、この辺の町家の標準仕様でしょうね。そういえば16号線の浅川橋を渡った辺りも、こうした町家が並んでいたので「水無瀬の町家」も似たような場所に建っているのだろうと漠然と思っていました。

投稿者 iGa : 2007年03月12日 11:45

AKi さま
坂本先生は、私が3年生になるときに東工大に行かれました。
2年の時の最後の設計課題が坂本先生でしたから、武蔵美で設計課題を見てもらった最後の世代と言うことになります。
それはともかく、右手の町家が残っていると言うことが、なんだか奇跡みたいな、そんな感じで眺め入っていたわけです。

投稿者 fuRu : 2007年03月12日 14:42

iGaさま
それにしても、すごいです。
水無瀬の町家の所在地を発見するその手際のするどさ。
川の方に向かって地面が上がっているだろう、というくだりには、しびれてしまいました。
というわけで、iGaさんの記事もリンクさせていただきます。
それから、周辺も歩いてみたんですが
同じように軒の低い町家が何件か現存していました。
30年以上前ならばなおのことですよね。

投稿者 fuRu : 2007年03月12日 14:47

懐かしいですね・・・水無瀬の町家。
イッセイさんに教わっていた時代、この水無瀬の町家のお話も伺っています。
実は『東京町家』の名前を付けるとき、僕の大好きな「代田の町家」「水無瀬の町家」が頭に詰まっていました。
ここで言う「町家」は都市住宅だということを教わっていたので・・・。
僕が教わっていた頃、盛んに断面図を書いて屋根勾配に悩んでいました。(代田の町家の頃)
水無瀬の開口部周りのコンクリートよく見ると傷があるでしょう。
コンクリート打ち間違えて、清水の舞台からの気持ちで打ち直しをお願いしたと伺いました。
バウさんに施工をお願いしたかったんですが、篠原先生にはじめから楽しちゃダメだとたしなめられて、ヤマヨさんにお願いしたいきさつなんかも話してくれました。
懐かしいなぁ・・・。今度見に行ってみよう・・・アノニマスな住宅を!

投稿者 東京町家 : 2007年03月14日 09:17

東京町家さま、もとい迎川さま。
コメントありがとうございます。
迎川さんと私がどのくらい離れているのか、ちょっと把握しかねているのですが
佐賀井さんや河さんよりも上ですよね。

さて、街道沿いに並び立つ家として充分意識されているということを書いた記事なのですが、あらためて内部の写真や間取りを見ていますと、道路を歩いている人との関係を実にスマートに断ち切っているのが分かります。それが「都市住宅」ということなのだろうなと思いました。
新潟の高田で見かけた町家も長屋形式で、隣同士の壁がくっついていて、明かり取りと通風を兼ねた煙突のようなものがついていました。まさに、町家は都市住宅だなと思った次第であります。

投稿者 fuRu : 2007年03月14日 16:52