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2005年12月05日

娘のお遊戯会でいろいろ考えました

[家族--my_family ]

12月4日の日曜日は
娘の幼稚園のお遊戯会。
娘は年長さんなので、幼稚園最後の晴れ舞台です。
その晴れ舞台を見物に、前の日から家人の両親が遊びに来てくれました。

土曜、日曜のことを書き留めておきます。

土曜日は
設計者仲間の「ひなたの場所」の吉野さんが手がけた住宅の完成見学会に、家族でおじゃまさせていただきました。
シンプルな家です。ロケーションも良いですね。

そのあと、松本からやってくる家人の両親の出迎えに武蔵境の駅までゆきます。
武蔵境の駅前には大きな「イトーヨーカ堂」があって、駐車場も完備。
僕らは、そこでお昼を食べて、駅の改札まで出迎えに。
そのあと、家に戻ればすでに3時過ぎ。

ばたばた、やっているうちに夕飯、お風呂、そして「おやすみなさい」。

日曜日のお遊戯会は、子供たちみんながんばっていました。
僕らは3回目のお遊戯会見学。
最初の年は、娘も年少さん。僕らも初めてとあって、なかなか冷静に見ることが出来ませんでした。
今、思い出してもくすぐったい感じですが、
3年目ともなると、余裕が出てきます。

年少さんと、年中さんはお遊戯です。
担任の先生によって選曲に個性があったり
舞台のバックの絵も先生が手書きで用意するんですが
そこにも先生の個性は発揮されます。
それにしても、我が子を見ても
4-5歳の子供の、分けがわからない集団をまとめて、
振り付けを覚えさせて、それを舞台に立たせるなんて
今更ながら、凄いことだなあと感じ入ってしまいました。
幼稚園の先生は偉大です。

そして、年長さんは演劇です。
20分程度の簡単なものですが
ちゃんと全員に台詞もあってなかなかのもの。
娘のクラスは「3匹の山羊のがらがらどん」。
娘は「小さい山羊のがらがらどん」を、しっかりと演じていました。
演劇はお遊戯に比べてさらに大変でしょう。
時間も長いしね。
で、先生の力量も問われたりするわけです。

僕は、その辺のことはよく知らなかったのですが
たとえば、今回別のクラスの演劇で
担任の先生の弾くピアノが、うーん、という感じだったんですね。
それを家人に言うと
その先生は、数年前に年少さんの担任だった頃、
幼稚園のPTAさんたちに、ピアノが下手だとか様々なことで糾弾されたのだそうです。
それで、本当は子供たちの進級に合わせて
先生も担任を進級するのですが
その先生だけ、もう一度年少さんの担任になったのだそうです。
園長先生の話が伝え聞こえていて
その先生は子供たちからの信頼も厚く良い先生だったというのですよね。
園長先生は、子供たちが評価している先生を
親の意見で責任をとらせるのは筋違いではないかと
そのPTAさんたちに進言したのだそうですが、それもかなわず、ということのようです。
確かに、ピアノはうまくないかもしれませんが
そんなことに目くじらを立てている親の姿の方こそ子供に悪い影響を与えるのではないでしょうか。
ぎんなんさんの「gin*」でも、小学校の先生のことが書かれていたりして、それもそれで、まったくもって大変な問題だと思うのですが、先ほどの話のようなPTAも僕の目からすれば必要以上に過激にしか思えません。これもこれでやりきれないですよね。だって、PTAが先生をいじめているとしか思えないでしょう。本当にいやなものです。

さて、まあ、そんなことを感じたのも
さっきも書きましたが
あんな分けのわからない子供たちをまとめて、何かを伝えてゆくことって
ものすごく大変な仕事だなあと思ったからです。
少なくとも、うちの娘を担任してくださった先生方には
本当に感謝しております。ありがとうございます。
もう少しですが、これからもよろしくお願いしますね。

さて、熱演終了。
そして、今朝方、挨拶をして、僕は仕事場へ。
こうして、どこに行くというのでもないけれども
三日間の滞在を終えた義父と義母。
充実した時間を過ごしてもらったでしょうか。
また遊びに来てくださいね。


※新しいホームページで情報更新中!!

投稿者 furukawa_yasushi : 2005年12月05日 10:27

コメント

お遊戯会、お疲れ様でした!
いい思い出が出来たようですね〜
各クラスの出し物も、先生の個性が出て、見ていて面白くもあり、ハラハラもしたり。。。
後になってはどれも懐かしい思い出になるものですよね。
それにしても、PTAの申し出の話。
なかなか力のある方が揃っていたんですね。(笑)
どっちかの権力が強くなったりすると、片方が遠慮してしまったり…
いいバランスが取れた信頼関係でいられるのが一番いいですね〜。

投稿者 ぎんなん : 2005年12月05日 15:34

ぎんなんさん こんにちは
子育て先人たちの話を聞くと
幼稚園なんかよりも小学校の方が大変だとのこと。
ぎんなんさんのところを覗いてみてもいろいろです。
でも、小学校話の多くは先生がどう考えてもおかしいという話ばかり。
今からナーバスになっていてもしかたありませんが、
当事者になったら学校に殴り込みに行きそうな自分がいそうです。
ああ、精進しなくては。

投稿者 fuRu : 2005年12月05日 15:46

私、恥ずかしながら、実は教員免許持ってまして。
教育実習に行った時、わずか2週間ではあるんですが、PTAって今、変〜〜〜って思った覚えがあるんです。そして、勿論、それに対応する教師側も????な事が沢山あって。
いい加減な私の事ですから、そこら辺、突き詰めて考えるっつうより、「私にゃ向いてねえや!」って思って、免状は飾りになってしまったと。わはは。

うまく書けませんが、今の大人っつうか、親の中には「我慢弱い」人が沢山いて、なんつうか・・・自分や子供が秀でている・・・その証明をするために、他者の糾弾をするタイプってのが、ゴロゴロしてます。
優しい、おとなしい子供が黙っている事をいい事に・・・・私は、学校では「家庭でのしつけ」は無理って思っているけれど、そう考えない人もこれまたゴロゴロ。

想像力と謙譲の美徳ってのを覚えるのに、学校はいいステージでなければならないはず・・・なんだけどな〜〜〜。

投稿者 kazoo : 2005年12月06日 19:40

kazooさん
他人を否定することでしか自分の存在を立証できない人
ほんとにやりきれないです。
「我慢弱い」っていうの、感じますね。
先生全員がすばらしいなんてことはない。
僕らが小学生・中学生だったときだって、ホントに影響された良い先生は一人か二人。
でも、その出会いがあったからこそ、今の僕があるわけで
学校というものは、そういう場所、kazooさんも言われる、「想像力と謙譲の美徳」が子供たちに伝えられる場所であって欲しいです。いやいや、そうあるべきなのだよなあ。
来春にはピカピカの一年生である我が家のはす姫。
良き小学校生活をおくって欲しいものだとお父さんは今からドキドキしています。

投稿者 fuRu : 2005年12月06日 20:05

わが家にも4歳になる男の子がおり、毎日の送り迎えに・行事の参観等に保育園に参ります。その時に思うことは「ああ、本当にお世話になっているなあ。ありがたいなあ。子どもの生活の場所を作ってくださっているなあ。」という感謝の気持ちです。というのも、私はここで話題になっている小学校の教員をしているせいもあるかもしれません。しかも、今年はPTAの役付きになっていて、何かとそういうご意見・ご要望に対応するケースが多いせいでもあります。
学校も時代の趨勢によって「良いサーヴィス」を求められる場になっています。が、同年代の子どもが集団で生活し合って学ぶという中には、時には我が子やご家庭にとって嬉しくないことがあるかもしれません。ものの善悪をしっかり理解させるために必要な指導もありえます。要は、学校も家庭も地域も子どもの幸せを願っているという共通のスタンスを第一にして、お互いの考えを理解しあうことだと思います。センセイだって人間ですから、得手不得手はありますが、いい所を親が認めれば当然子どもも信頼し、不得手やミスを親が子どもの前で話せば子どもも信頼しなくなります。教員から家庭に対しても同様のことが言えると思います。本当に大事なことは何か、をいつも見失わないで、本当のことを話しやすいセンセイでいたいと思っています。

投稿者 H.Suzuki. : 2005年12月08日 16:04

Suzukiさま
コメントありがとうございます。
先生という職業は本当に大変な職業だと思います。

子供に携帯ゲーム機を与えて、「これは手がかからない」と喜んでいる親もいます。
それ自体が悪いとは思いませんが、
それは、コミュニケーションの放棄であるような気がします。
子供は敏感です。親がコミュニケーションを放棄していると感じれば
親の気持ちを察して、嫌われないように振る舞う。
つまり、コミュニケーションを閉じてしまいます。
そんなふうに、子供たちが、コミュニケーションを閉じることを身につけながら育っているような気がします。
そんな閉じた世界とつきあっておられるのが先生なんですよね。

昔は、少なくとも僕が小学生だった頃は
田舎の小学校と言うことだったせいもあるでしょうが
みんな閉じてなんかいませんでした。
思いっきり開いていました。引っ込み思案の仲間も、引きこもることなく自然とそこにいました。
近所のおじさんやおばさんも、僕のことを知っていて、道ですれ違えば挨拶していました。

今の子供たちにも、閉じない子供いるでしょう。
でも、閉じてしまう子供もいる。
それをまとめるなんて至難の業。

>本当に大事なことは何か、をいつも見失わないで、本当のことを話しやすいセンセイでいたいと思っています。
というSuzuki先生の言葉に、救われる気がします。

投稿者 fuRu : 2005年12月08日 17:30