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2005年07月03日

むかしむかし おおむかし

[はす・空--hasu・sora ]

むかし むかし おおむかし
はっちゃんが ひかりかがやく こどもとして うまれました。
こころやさしい じいさんと ばあさんが
ひかりかがやく はっちゃんを そだてました。
そして おおきくなった はっちゃんは
じいさん ばあさんと おわかれをすることになりました。
そこで おれいに
おかしらが たいせつにしていた
はーとのかけらを わたしました。

はす---5歳

最近、うちの娘の絵を記事にしていないとご不満の方も多かろう。
でも、まあ、あいかわらず、娘は毎日毎日大量の絵を描いているのであるが、
ブログの記事にするほどに画期的な「跳躍」がみられないので、ちょっとひかえているというわけだ。
このへん、ただの親ばかブログであってはならないということを、強ーく、意識しているのですね。いちおう。
まあ、そんなある日、家に帰ると
家人が笑いを必死でこらえて、娘が創ったというお話を教えてくれました。
それが、これです。
文学的な才能、とかそういうのではありません。
これって、我が家にある絵本で「かぐやひめ」と「いっすんぼうし」を、娘が独自にミックスしてつくった、いわばパロディなんですよね。娘も家人に語って聞かせながら大笑いだったそうです。で、うちの娘にはお笑いのセンスがある、というのでもない。あたりまえですが。
娘はただ絵を描くというところから、最近は物語をつくろうと試行錯誤しています。言葉が少し書けるようになったということもあるのですが、物語の面白さに目覚め始めているんですね。それは、僕らが小説で読むような構築されたものではなくて、おとぎ話のような柔らかくてふにゃふにゃしたものなんです。
これは、僕のなかで、ポールオースターの「空腹の技法」でのおとぎ話のことや、
栗田さんから教えていただいた、Memeとつながり始めているのです。

このところ、とても、とても刺激的な毎日です。

投稿者 yasushi_furukawa : 2005年07月03日 00:50

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コメント

>おかしらが たいせつにしていた
はーとのかけらを わたしました
ここにひどく感激してしまいましたぁ(w
またまた、頭グリグリになぜたいでーす!

投稿者 うるとらまりん : 2005年07月03日 02:37

おかしら・・・それはfuruさん?などと思いつつ読みました。
ひかりかがやくはっちゃん・・・いいなーー。いいなーー。いいなーー。

投稿者 kazoo : 2005年07月03日 08:32

うるとらまりんさん こんにちは
そうです、そうです。
僕もこの小話のなかでポイントなのは「おかしら」という言葉だと思っています。
ちなみに、出典は「いっすんぼうし」で、退治された鬼の子分が「おかしらが たいせつにしていた たからものを いっすんぼうしに」というくだりです。
さすが、お見通しですね。

kazooさん
kazooさんも「おかしら」に心惹かれていますね。
ふふふ、そうです、大正解です。(?)
そう、「おかしら」の次は「ひかりかがやく はっちゃん」でしょうね。
2問正解のkazooさんに座布団一枚お出しして。

投稿者 fuRu : 2005年07月04日 00:52

なにか好い感じしますね(^-^)
物語を考えちゃうなんて、すごいです。

こおゆうふうにシンプルな考え方で奥が深いもの、
設計もそうしたいんだけど…
いらぬ知識ばかりがつきまとってるような気がするです。(笑)

投稿者 ひなよし : 2005年07月04日 09:29

ひなよしさん
>シンプルな考え方で奥が深いもの、
設計もそうしたいんだけど…

そうそう、まったく僕もそういうことを考えています。
たぶん、設計は住まい手(使い手)の生活の骨格を形にすることなんだと思うんですが
その骨格が住まい手の生活をより豊かにしてくれるものでなくてはいけない。
住まい手の生活を束縛してしまうものであってはいけない。
そこで、住まい手が自らの物語を語れるようでなくてはいけない。
そのための受け皿となるような骨格として建築をつくらないといけません。
ホントに、そう思っていますし
これは、古今東西を問わず設計者に求められていることだと思います。

というわけで、ひなよしさんに 座布団3枚!

投稿者 fuRu : 2005年07月04日 10:00

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