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2005年09月23日

戦前からの「連続」と、戦後の「革新」

[建築--architecture ]

昨日、OZONEで行われたセミナー
「植田実の建築読み下ろし--大きな建築、小さな建築-第1回」を聴きに出掛けた。
「植田実さんてだれ?」という方はOZONEの案内を参照していただこう。

今回のテーマは「清家清と50年代建築の流れ」。

1951年から55年ごろに、池辺陽、増沢洵、広瀬鎌ニらを中心に生まれた
「戦後小住宅」が、現在、再評価されている。

その流れの中で、清家清について語られる。
ただし、「住宅作家」という存在が社会的な評価を受けているのは
日本という国の特別な状況であったということを踏まえながら
同じく、「住宅作家」として評価される、吉村順三が対比される。
極論すれば、住宅作家として認識されていたのは
清家清と吉村順三の二人だけだったのではないかとつづく

ところで、「戦後小住宅」というくくりで語られるのは
戦前の、堀口捨巳、山脇厳、土浦亀城らが手がけた住宅は
いわば、大邸宅であって、庶民のものではなかったことに、対比されている。
しかし、1950年代前半当時において、住宅金融公庫が始まっていたとは言え
建築家に自宅の設計を依頼するのは、特別な人たちであった。
建築家は、庶民のための住宅をというデモクラシーで
小住宅へ向かっていったが、そこには、つまり、注文戸建て住宅というだけで大きな矛盾が存在していた。
しかし、この時期に完成したこれらの「戦後小住宅」には
日本のモダニズムが体現され、一つの美的な世界をつくっている。

というわけで、
今回のお話の中でいちばん興味深かったの点はふたつある。
ひとつは
植田さんが、
1908年生まれの吉村順三と
1918年生まれの清家清のその10年の違い以上に
吉村順三が中学生の時(戦前)にすでに建築コンペで入賞していた事実を取り上げ
吉村は戦後派とか戦前派というくくりで語れないと指摘していたことだ。
一方、清家清は戦後になって活動を始めている。

二人ともプランをみただけでは、そのほんとうの良さはわからないと語りながら
空間の連続性、部屋と部屋のあいまいな繋がり方に特徴があることを指摘される。
そして、それは「分裂気質」からくるのではという、冗談のような話がつづき
その空間の連続性ということが、植田さんのお話の中で
戦前から戦後への連続というイメージと、僕のなかでちゃんぽんしてしまった。

吉村は戦前から建築をみていた。
一方、清家は戦後の視点から戦前からの連続を考えていたのではないか。
それが、清家独特の素材の使い方などに具現化しているのではないか。
これは、植田さんの話を聞いての僕の感想だ。
吉村、清家ともに、彼らの残した仕事から戦前から戦後への連続と革新を読みとこうとしているのではと思った。
特に、「連続」という視点はとても新鮮だと思う。

さて、興味深かったもうひとつは
「立体化」ということだ。
池辺陽の「立体最小限住宅」と増沢洵の自邸を例に上げて
敷地が狭かったわけでもないのに「平屋」ではなく「2階建て」へと向かった
その「立体化」の意識に注目していた。

これは、先の「戦後小住宅は日本のモダニズムを体現している」というくだりにつながる。
「モダニズム」と「立体化」。
「モダニズムへの意識」と「立体化への意識」。
この関係は、なかなか刺激的な問いかけではないだろうか。

<蛇足>
吉村順三の軽井沢の家を雑誌「○建築」よりも先に
自ら編集していた雑誌「建築」に掲載したエピソードは面白かったですねえ。
完成したばかりの吉村別邸の存在を
たまたま訪れていたレーモンドのアトリエで知り、
アントニオ・レーモンド本人から
「あれは、傑作だから絶対にみた方が良い」とアドバイスされたこと。
そして、その日のうちに突然訪問し、次の日には雑誌用の撮影までしてしまったということ。
植田さんは今でも、突然訪問と突然の取材許可のお願いをした時の緊張感を
この別荘をみるたびに思い出すのだそうです。

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第二回目は12月2日。
今度は植田実が初めて丹下を語る(本人談)という企画。
ぜひ、参加したいと思う。


※新しいホームページで情報更新中!!

投稿者 furukawa_yasushi : 2005年09月23日 10:18