« U2来日延期・・・というか・・・ | メイン | あせび »

2006年03月22日

かぞく

[いろいろ--misc. ]

夜8時過ぎに
外が騒がしいと家人がでてみれば
中学生くらいの男の子が
もう一人の男の子からゲームソフトを取り上げてからかっていた。
家人は、そんなことしたらダメだよと、その男の子に注意したらしい。
ゲームソフトごときであるが、程度はどうあれ、いじめには違いない。

外の騒がしさは尋常でなかったようで
隣近所に十分聞こえるくらいの声で、その子供達はやりあっていたらしい。
近くの人はみな、聞こえているのに聞こえないふりをしていたのだ。
そのことに、家人は怒っていた。
僕は、その話を聞いて、それもそうだけれど
そもそも、夜の8時過ぎに中学生が外をうろうろしているのは、いったいどうなのかと思った。

僕が生まれ育ったのは田舎だったと言うこともあるが
中学生でも夜の8時には、いつもちゃんと家にいた。
いや、家にいるものだった。
7時と言えば夕飯の時間だ。
夕飯も家族4人でちゃんと一緒に食べるものだった。

そんなことは、もう太古の昔、原始時代の話のようになってしまっている。
夜の8時に中学生が外にいるのはなんの不思議でもない、のだ。
下手をすると、小学生までもが夜中にうろうろしていることもある。
いや、うろうろしているのではなく、学習塾からの帰り道なのかもしれない。
でも、小学生が夜中に外にいるのは、やはり尋常ではないと、僕は思うのだ。

今日、娘は6歳になった。
20日に幼稚園を卒園したばかりで、すぐに誕生日だから
早生まれというのはあわただしいけれど、
幼稚園の仲間で、習い事をしていないのはうちの娘だけだったようだ。
ほかのお友達は皆、幼稚園が終わってから
英語やバレエやピアノ、水泳を習いに通っていた。
だから、たぶん、夕飯の時間まで家に帰らないのだ。
幼稚園の時から、そんな状態で、それは小学校、中学校と進むにつれてエスカレートしてゆく。

家人もお母さん仲間から
何か習い事をさせないといけないのだといわんばかりの勢いに
いささかうんざりしていたのだが、
それにしても、習い事をしていないのがうちの娘だけというのは、いささか気味が悪い。

この気味の悪さは、家族という場所の存在にかかわる。

大げさなことを、と言われるかもしれないが
家族揃って、ご飯を食べる場所と時間が失われると言うことは
それはすなわち、家族の危機なのではないかと思うのだ。
こういうささいなところにこそ、家族の危機はあるのだと思う。
そして、家族の危機こそが街の危機につながる。
地域というおおきなコミュニティも崩壊してしまう。

といって、いつも、仕事を終えて家に帰ると
9時過ぎで、家族とまともに夕飯を食べるのは休日くらいの自分が
こんなことを言っているのが可笑しいけれども(要反省!)、
それでも、家族の時間を大切にしたいと思っているし
子供が自分から行きたいと言ってこない限りは、子供を塾に通わせて家族の時間を手放す気にはなれない。

塾に通わせる、ってどういうことなのか?
それによって失われることの大きさについて
それぞれの家族が自らの答えを見つけてゆかねばならないと思う。
少なくとも、よそがそうだからと言うだけで、子供に塾通いを強制することは
何も得るものがないし、大切なものを失ってしまうことになると思うのだ。


※新しいホームページで情報更新中!!

投稿者 furukawa_yasushi : 2006年03月22日 17:02

コメント

すごく判ります。
働いている時に、疲れ切って11時くらいに電車に乗ると、何故か子供がいる。しかも一人で。携帯を器用に扱いながら「今乗った」とか言ってる。
暗闇が世の中に無くなってから、なんだかおかしな事になっていて、おかしいといくら言ったって「実際の所、最後に困るのは当人よ」という強迫観念は世の中に根強く。こんな田舎でも同じことです。私立の学校に行かせなくては「本当に教育」なんか受けられはしないとか。
当たり前のことを当たり前に言っているつもりでも「数の論理」ってのはあるし、やっぱり自分の子供は可愛いし。

おかしい。おかしい。おかしい。おかしい。

子供を持たぬ私でも。

投稿者 kazoo : 2006年03月22日 19:27

kazooさん どうもです。
やはり、家族の問題ってのを
それぞれの家族なりに自分たちの答えを見つけてゆかないといけないんだと思うんですよね。
やはり、問題だと思うのは答えを他人に求めるってことではないかと、そう考えるわけです。

投稿者 fuRu : 2006年03月23日 10:10

fuRuさんしばらく
「家族の危機こそが街の危機につながる。地域というおおきなコミュニティも崩壊してしまう。」ぼくも同感です。我先にとゲームに受験にと...自分の子供だけが中心の家族、地域の学校にも行かなくなっているようです。地域の崩壊はもっとも深刻な問題のような気がします。僕は久しぶりに小中学校の仲間と地元吉祥寺で遊んでいますよ。

投稿者 shin : 2006年03月23日 10:41

shinさん こんにちは
娘が卒園して、息子が今度入園します。
子供の成長を見ていて、このごろ家族というものをよく考えるようになりました。
たぶん、家族って言うのは一般解や、これが正解というのはなくて
それぞれの家族ごとにある「つながり」なんですよね。
その「つながり」というものは、家族でなくては出来ないつながり方であって
そこに他人の理論を入れるわけにはいかないのだと思っています。
ただ、つながりの大切さはもっともっと問われるべきだとも思っているのです。
子供を学校や塾に預けてしまって、家族のつながりを問うことを放棄しちゃうようなことがあってはいけない。
それは、全てのつながりを放棄しちゃうことに続いてゆくのではないかという危惧が、僕にはあります。

投稿者 fuRu : 2006年03月23日 11:36

こんばんは〜きやっせお疲れ様でした。
ご卒園おめでとうございます!!1年生ですね!子供の教育って難しいです・・・いま中学生の長女は学校の先生の授業がわからないと塾に行ってます・・・終わるのは9時過ぎです。今ほとんどの中学生(小学生)は塾に行っているでしょう。義務教育の学校って・・・ゆとり教育って・・・なんだろうって思ってしまう今日この頃です!(私の中学時代は厳しく情熱を持った先生にめぐり合えて幸せでした〜)今、教育の悪いところは、親の責任と思っている子が多いようですね。子供に気を使う親が多いそうです。う〜ん反省しなくてはいけないなと思います。

投稿者 Rei : 2006年03月26日 20:46

Reiさん
今日は、なんだか充実した一日でした。
丸太を切ってくれた方々の笑顔は、僕らの宝ですね。

娘へのお祝いの言葉、ありがとうございます。

さて、長女さんが塾に行かれているのは本人の意志であるわけで
勉強したいという思いがあるからですよね。
僕は、そういう子供はどんどん塾に行ったりいろいろやった方が良いと思っています。
僕も、中学2年の時の英語の先生が、とても僕らに不安を与えてくれる人だったので
NHKラジオの「続基礎英語」というのを自主的に聞き始めました。
その頃、我が町には塾なんてなかったものですからそういうことになったわけで、
塾があったらきっと行っていたでしょう。
そういう意味では、実は学校なんていらないかもしれないと、僕は思っていたりします。これは、危険な発想かもしれませんね。でも、学校は友達と過ごす場所としてとっても大切な場所だと思っていますから、絶対に必要な場所だとも思っています。
それにしても、学校の教育について、娘が小学生になるわけですから、これから、もっと考えることになるんでしょうね。

投稿者 fuRu : 2006年03月26日 21:03