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2007年01月07日

大看板

[風景--landscape,cityscape ]

大看板も映えるのだ。

採集地:松本

よく、看板が日本の風景を醜くしていると言われるが
看板文化の本拠地であるアメリカでは、少なくとも映画や写真で見る限りにおいては、看板は風景の一部となっていて、つまりは文化の一部になっていて醜いというようなことはない。いやいや、逆にとても美しくさえある。それはやはり、あの大看板たちが広大な大自然を背景に自然発生的につくられたものだったからではないか?

日本の、特に国道・主要幹線道路沿いにある大看板のいかに節操のないことか。

松本でこの看板を見たときに、これなら、良いかもしれないと思った。
こういう看板は雄大な背景の中で映えるのであって、
街中のゴミゴミしたところにおいてはいけないのである、きっと。



※新しいホームページで情報更新中!!

投稿者 furukawa_yasushi : 2007年01月07日 09:40

コメント

鉄道・道路沿線の野立看板というと、東北線や東北新幹線の車窓から見られる「酒は大七」の看板を思いだします。
必ず、沿線の小山の中腹に白文字だけで「酒は大七」とありますが、とても優れた看板だと思っています。
決して、その風景を壊すことなく、新緑に、夏の濃い緑、紅葉といつも楽しく見ることができます。
http://www.daishichi.com/gaiyou/tosyu.html
コレクターまでいるみたいです。
http://s-family-web.hp.infoseek.co.jp/big7/0301.html

投稿者 AKi : 2007年01月07日 10:54

AKiさま
そうです。日本にも「大七」の看板がありました。
私も幼少の頃から記憶していますからその歴史はずいぶんと古いのでしょうね。
AKiさんもおっしゃっておられるように、最近の傍若無人な、何でもありの看板とは違った、品格のようなものを感じさせてくれます。日本にもこういう文化がちゃんとあるんですよね。勉強させていただきました。

投稿者 fuRu : 2007年01月07日 11:57

>映画や写真で見る限りにおいては、看板は風景の一部となっていて、つまりは文化の一部になっていて醜いというようなことはない。

映画や写真ではそうかも知れませんが、アメリカでは醜悪な看板をたくさん見ています。道路沿線の状況は我が国と変わらないという印象を持っています。

小生は看板に品格を感じたことは、一度もない(大七は見てません)ので、特別の看板嫌い、コマーシャル嫌いなのかも・・・。

投稿者 ユリウス : 2007年01月07日 14:26

ユリウスさま
こんにちは。
あらためて自分が書いたものを読むと、言葉の足らなさに恥ずかしい思いをします。
コメントで補足させてください。
この記事で言う「アメリカの看板」とはアメリカの西部の大平原のようなところにあるモーテルなどの大きな看板をイメージしています。
とは言っても、恥ずかしながらアメリカに行ったことはありませんので
あくまでも、映画や写真で見た「アメリカ」ですね。
そして、この松本の美ヶ原の山並みを背景にした「SEIYU」の看板を見たときに
大きな看板というものは、その出生からして大自然を背景にして生まれてきたものではないかと思いました。
そして、そういう文脈、つまりは大自然が背景ということですが
それを無視してつくられた大きな看板というものが、実は醜悪な姿をさらしているのではと感じたのです。
ですから、アメリカの看板はすべて美しいとは私も思っていません。
そして、AKiさんに思い出させていただいた「大七」の看板などもあります。
ユリウスさんがおっしゃってられるように
そもそも看板が好きかどうかということもあるのかもしれませんが
「品格」とまでは言い過ぎでしたが「品のある」看板はあるとは思っています。
この「SEIYU」の看板に品があるとは、ちょっと・・・ですが。
というわけで、本年もよろしくお願いいたします。

投稿者 fuRu : 2007年01月07日 17:23

fuRu さま

剛速球を投げて失礼いたしました。
「品のある」や「上品な」看板なら、小生も見たことはあります。
あなたのエントリーが、世の中の醜悪な看板が「よりましな看板」になってほしい欲しい
という願いで書かれたものであるということは十分理解しております。

こちらこそ本年もどうかよろしく!

投稿者 ユリウス : 2007年01月08日 22:34