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2007年05月25日

「ホテル・ニューハンプシャー」---ジョン・アーヴィング

[books ]

「ホテル・ニューハンプシャー」
著:ジョン・アーヴィング 訳:中野圭二 新潮文庫
(上)→amazon、(下)→amazon

いやいや、すごい小説でした。
それにしても、通勤電車で読み終えて、家に帰ってテレビを付ければ
世間で起こった、おびただし暴力の数々で画面は溢れかえっています。
我々は、かくも暴力のただ中に立たされているのでしょうか。
しばし言葉を失います。

アーヴィングの「ホテル・ニューハンプシャー」は
おぞましき暴力と、暴力にさらされた人々の心の話。

作者も「おとぎ話」というのだから、そう呼んでもかまわないのだろうけれども、
「おとぎ話」として語られるがゆえの、耐え難い悲しみが
この小説には、脈打つ血液のように流れています。

まさに、我々は「そこ」に生きているのだと、
脈打つ血潮は我々に訴えかけてきます。

この本の感想などというものは書くことはかなわないでしょう。
本は「作品」として、他の言葉を寄せ付けない、確固たる信念でそこに存在しています。
そのような小説は、滅多にあるものではありません。

私の読書記憶では、村上春樹の「海辺のカフカ」も、そうして存在している小説ですね。
「海辺のカフカ」は3回読みました。
あんな長い小説を3回も読むなんて、と思われる方もいることでしょうが
3回読まずにはいられなかったのですね。そこには何かが存在していたから。
それは、他の言葉にはならない何ものかなのです。
ですから、我々は、小説そのものを読まずにはいられない。たとえ、何百ページあろうとも。

この「ホテル・ニューハンプシャー」も、まさに何かがいる小説なのです。

「よいホテルは、みなさんがそれを必要としているとき(そしてそのときだけ)みなさんに手を触れる、あるいはやさしい言葉をかける、そういったような意思表示をするんです。よいホテルは、つねにそこにあるけれど」父さんは野球のバットで彼の詞と歌の両方の指揮をとりながら言う、「しかし、まとわりついていつも監視しているというような気持ちは決して与えないものです」(中略)「よいホテルは何ごとも強制しないのです。わたしはそれを共感空間と呼びたいですな。」(新潮文庫版下巻 388ページ)

小説に何かがいるとは、この「共感空間」を体験していることに他ならないのでしょう。
作者自身からのメッセージがこうした登場人物のセリフにも込められているのだと思います。

そして、私はこの本を閉じ、目を閉じるのです。暴力に満ちたこの世界を思いながら。

<蛇足>
アーヴィングの小説はこれで四冊目。
その中でもこの本は、どこかしら村上春樹の香りがします。
原文にそのようなところがあるのか、あるいは翻訳のせいなのか、私にはわかりませんが、小説の中で「華麗なるギャッツビー」の末尾の一文が重要な余韻を残すあたり、アービングと村上春樹は同じ空間を共有しているのでしょう。


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投稿者 furukawa_yasushi : 2007年05月25日 12:00

コメント

ジョン・アービングは元彼の影響で20代の頃片っ端から読んだ覚えが!
きっとその頃に自分は、彼氏と同じ本について語り合いたかったんでしょうね。
ウィーンの動物園にたまたまいった時、この本を思い出したり。
昔々に読んでいても、記憶の断片のようにシーンがよみがえるのは、アービングの世界の持つ強烈なインパクトのせいかと思われます。
でも一番好きなのは「ガープ」かなぁ?

投稿者 りぼん : 2007年05月25日 14:47

りぼんさま
ガープ、いいですよね。
最初の子供が産まれた時の気持ちがよみがえってくるんですよね。
私も好きです。
でも、ホテル・ニューハンプシャーの方が、すごい小説だというのが正直なところ。
ガープは2回読まないかもしれませんが、これは2回とか3回とか読むような気がします。
次は細野晴臣さんの本を何冊か読んでから「オーエンのために祈りを」に挑戦です。

投稿者 fuRu : 2007年05月25日 15:37