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2007年12月31日

from 2007 to 2008

[a-家づくりについて---house_making ]

本年も多くの方々に助けられ一年が過ぎてゆきました。
また、来年もよろしくお願いいたします。

来年のことを言うと鬼に笑われると言いますが
いろいろ考えていることをこの機会にまとめておきます。

今年は耐震偽造に端を発して建築基準法の改正があり
建築確認申請が大変厳しくなりました。
私の事務所も木造三階建ての「T.K.M._House」では、北区が事前審査をきっちりやってからの確認申請書類を受付るという手順を踏んでいるためもあり、申請書類を未だに受け取ってさえもらえない状態で年を越しました。本来ならば着工していている予定でしたから、法改正の影響は大きいのです。建て主さんも着工の予定が立たないので困惑しています。

住宅業界全体でも着工数が昨年と比べて激減しているということが新聞テレビの報道欄をにぎわしています。

これに加えて、再来年には住宅の瑕疵保証制度が義務づけられ、住宅の品質をどのように保証してゆくかが厳しく問われることになります。その保証には客観性が求められます。つまり、今までの町場の工務店を支えていた「昔気質の信頼商売」、それは言葉にするようなものではなく態度で示すようなものだったのですが、それを明確に文章化し制度化しなくてはならないと言うことです。それが、これから求められる新しい「信頼」の担保となるわけです。もちろん、建物の品質は客観的に保証できるものとそれが難しいものがあります。

一棟ずつ完成させてゆく注文住宅は、ほとんどの部品が個別注文の手作りで、製作の工程を完全に管理することは不可能です。ですから、品質管理とはすなわち信頼できる職人さんの今までの実績を信頼しての評価となることが多かった。そうした管理には人を信頼するということが根底にあります。
しかし、耐震偽造で問われたのは、結局人を信じるわけにはゆかないのではないか、ということだったのですね。ですから、人を信用しない、という観点に立つと、注文住宅の品質を客観的に保証するということが大変難しいことになってしまう。もちろん、客観的に評価できないということが評価できないということには決してならない。住まい手一人一人の生活を考えた個別注文の住宅はちゃんと評価されなくてはならない。その悩ましい部分をどうしてゆくかが、今、我々に問われているのだと思います。

実際に、先を見通したこういう問題意識は設計事務所よりも工務店さんの方がはっきりと持っていて、この一年間を振り返れば、工務店さんの集まりの方が精力的に勉強会や意見交換を行っているように思います。設計事務所は問題意識も低いですが、概ね蚊帳の外、という状態です。
このままでは、来年以降、設計事務所にとっての氷河時代がやってくるのではと感じています。

その氷河時代到来に思いをはせれば、そこにはとても根本的な問題が潜んでいる。つまりは、設計事務所とはいったい社会に対して何を求められているのか、社会に対してどういうことが貢献できるのか、ということです。

そこで自問自答します。設計事務所っていったい何なんでしょうか?

建築物は住宅に限らず、ある目的を持って作られます。その目的を整理して必要十分な形にしてゆくことが設計という作業です。ですから、どのような建物にも設計という作業は必要です。設計事務所はその作業を専門にやり、またその設計の意図の通りに工事が行われるかを監理することを生業としています。しかし、世の中には設計と施工を一緒に業務とする組織も少なくありません。その場合には設計者は独立した立場ではなく施工者側のスタッフとして存在しています。つまり設計事務所はなくても建物は完成するのですね。個人住宅で設計事務所に設計を依頼する人というのは全体の5%程度という数字もありますから、特に住宅の場合には設計事務所の存在意義が問われるのだと言えるでしょう。

つまり、これから家をつくる人のなかで設計事務所に設計を依頼する人は何を設計事務所に求めているのでしょうか?ということです。

まずは、デザイン性だと思います。「格好いい家」「雰囲気の良い家」ということと同時に、使い勝手が隅々まで考えられた家を求めて設計事務所に設計を依頼します。設計事務所は「デザイン力」を期待されています。
もうひとつは客観的な監理です。施工の品質であり、それにかかるコストの監理は大変重要な課題です。施工者はやはり施工による利益に縛られているのは否定できませんから、コストに関しては客観的な評価者が必要です。設計事務所は「監理能力」を期待されています。

「デザイン力」と「監理能力」は設計事務所の二本の柱だと言えます。

しかし、ここ数年でデザイン力のある町場の工務店が現れ始めました。
もとをたどれば、OMソーラー協会が行ってきた建築家の永田昌民さんや秋山東一さんらによる加盟工務店さん向けの設計スクールの流れが大きいと思います。設計力、デザイン力を持つことは地域の工務店にとって大きな魅力となり、他社との差別化のために有力であるということが、メディアも含めて、ここ数年で広く認知されるようになったということです。
下手な設計事務所よりも「デザイン力」に優れた工務店さんも現れ始めています。設計事務所は着実にその土俵を奪われ始めています。

また、品質管理については、先に触れたように、今後の瑕疵保証の対策について設計事務所は遅れをとっています。工務店さんの方が何歩も先を行っているのです。「監理能力」についても設計事務所は土俵を奪われようとしています。

設計事務所のこの危機的な状況に対して、やはり我々は強い自覚を持たなくてはならないでしょう。そして、社会から求められるような設計者として、必要な「デザイン力」「監理能力」をもっともっと探求して身につけてゆかねばなりません。この努力にゴールはないのです。


さて、来年は「デザイン力」「監理能力」を根本から見直してみたいと思っています。
根本から見直すために想像力を働かせたいと思います。
それは、今年からすでに考え始めているのですが「瓦礫の建築」と呼べるものです。
瓦礫から家をつくる技術を考える、ということです。

とてもとてもプリミティブなスタートラインから、家をつくりあげるために必要なことを整理しておくこと。仮設的な建物をつくるのではなく、ちゃんとした家を瓦礫からつくりあげること。

人が生きてゆくために必要なもの。食べ物、着るもの、そして住み家。
その中で、設計者がプロとして期待されること。
住み家を手に入れるために必要最低限の技術を持つということ。設計者としてそうした技術に習熟しているということ。そうした技術を多くの人に伝えられるということ。

「瓦礫の建築」については、来年、少しづつ整理してゆきたいと考えています。

「瓦礫の建築」を作り上げることが出来る「デザイン力」「監理能力」こそが
設計事務所氷河時代を生き残るために絶対的に必要な力だと考えています。


※新しいホームページで情報更新中!!

投稿者 furukawa_yasushi : 2007年12月31日 16:15

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コメント

fuRuさん、よい年をお迎えください。
今年は、何度か東京でお会いしてお話しできて、よかったですよ~!!
来年もよろしくお願いいたします。

投稿者 わきた・けんいち : 2007年12月31日 19:19

わきた・けんいちsama
こちらこそ、来年もよろしくお願いいたします。

投稿者 fuRu : 2007年12月31日 19:44

furukawaさま

住宅の設計事務所って不思議な職業だな。って以前から思っていました。

「瓦礫の建築」重いテーマだと思いますが、避けてはいけない事だと感じます。
来年は是非お会いしたいと思って、お会い出来ると感じています。

来たる年が、古川様と古川様のお考えにとって、良い年であることをお祈り申しあげます。

投稿者 go-shiyo : 2007年12月31日 21:11

しっかりした考え方を読ませて頂き、紅白より楽しませて頂きました。
その上に瓦礫から・・・、 ゼロから考え直してみようとはすごいし、面白い。
古川さんが設計家として成功するのは当たり前に見えますが、一設計家で終わらない何かを期待したいですね。

投稿者 なかじま : 2007年12月31日 21:13

もうすぐ年が明けますね。お世話になりました!
こうやって、人が何を考えているか少しでも触れることで、自分の世界も少し広がってきていると思います。全くの同業でない人たちの世界がとても愉しい。
来年もどうぞよろしくお願いいたします!

投稿者 kadoorie-ave : 2007年12月31日 23:58

go-shiyo さま
>住宅の設計事務所って不思議な職業だな。
多くの方にとっての本音はそこにあるのだと思います。
作家、作家、建築家、建築家、ともてはやされればされるほど
?????な職業ですよね。
何をやるべき職業なのか、年が明けた今年の課題です。

投稿者 fuRu : 2008年01月01日 17:37

なかじま さま
フォルクスハウスが登場したときに
これだけあれば必要充分という機能ボックスとして
いままでああだこうだと細かく切り刻んでこだわってきた設計作法の、それはもうひとつの王道と呼べるべきものを「空」にしてしまった存在としてのフォルクスハウスに大変なショックを受けたことを思い出しました。
同時に、ハーフビルドの土俵として、素材として、キットとしてフォルクスハウスに可能性を発見したのも思い出します。
柱梁の構成で将来的なグリッドも考慮しておくという設計手法もその時に学んだことです。
それは、在来工法ですが先日リフォームの相談にうかがったS_Houseでも生きていますし、私がBe-h@usに関わりたいと思ったのもそこからです。
つまり、フォルクスハウスからBe-h@usへの流れの中に、すでに「瓦礫の建築」の発想は潜んでいたのだと考えています。

投稿者 fuRu : 2008年01月01日 17:46

kadoorie-ave さま
建築設計の世界は、まあこんな世界です。
建築はなんだかとてもあこがれる世界で
実をいうと私も何にも知らずにただの憧れでこの世界に飛び込んだのですが
入ってみて思うに、私にこの職業は向いていたんだな、ということです。
kadoorie-ave さんがイラストの世界に入ったという記事を読ませていただいた時に
世界は違いますが同じ匂いを感じました。
年は明けて、本年となりましたが、今後ともよろしくお願いいたします。

投稿者 fuRu : 2008年01月01日 17:50