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2008年10月16日

「日本庶民生活誌」---宮本常一

[books ]

「絵巻物に見る 日本庶民生活誌」
著:宮本常一 中公新書605
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いつ買ったんだかわからない本。
ずーっと、本棚に保存されていました。
背表紙だけはおなじみさんです。
こういう本、ふらっと、手にとって読み始めている時があります。
そうすると面白くて仕方がない。
きっと、今のこの時を本が待っていてくれたのかもしれません。
面白かったところを箇条書きしておきます。

<陽気な日本人>
民衆は祭りの外にあったから物忌も儀礼も必要なかったはずである。公家たちの行列を見て笑い、野次をとばし、そのために追い払われることもある。決してつつましい見物人ではなかった。

物見高い慣習

行列に参加する人と見物人の区別のつかないまでに入り交じっている。雑言を吐かなければ、天皇の通るすぐそばにいて見物することもできたのである。
そういうこだわりのなさが、日本人を物見高くしたのであろう。

古代以来の日本人は日常生活のほかに、直接目には見えないがもう一つの世界のあることを信じて生きて来た。(中略)それとは別に、一般民衆は海の彼方に現実に理想の世界があることを信じていた。

<人生>
明治30年頃まで日本人は屋外でも裸で過ごすことが多かったということです。
(赤塚不二夫の「デカパン」。ああいうのは普通に町の中にいたとNHKスペシャルでみうらじゅんが言っていました。)

藤原末期のころには庶民生活には便所の設備はなくて、空地があれば、どこでも大小便がなされたようである。

昭和20年頃まで大阪の四天王寺あたりでは四隅に車の付いた乞食小屋がみかけられた。乞食さん達は小屋とともに移動する。

打ち首とか顔の皮剥といった、恐ろしく残酷非道なことも、少し前までは数多くやられていたようだ。

<農耕>
この絵巻(住吉物語絵巻)にはいろいろの植物が描き分けられているが、それらの植物のうち、単なる野生と思われるものは少なく、多くは択伐するか、植栽されたものとみられる。

<人間と動物>
馬のほうは駿馬として渡来したから、乗用にしたものであろう。

大化の改新 班田収授の法 短冊形の田 長床犂を牛に引かせる

馬に犂をつけて引かせるようにしたのはずっと後世で、江戸時代にはいってからのことではないかと思われる。

肉に直接触れることなく、箸を用いて切ったのである。 魚肉も同様。

仏事に肉を食うな。ただし、鹿・猪の肉は食べても良かったようである。

<海の生活>
和洋と唐様の船。
大木の豊富な日本では大木をくりぬいてつくる刳船が主流であった。
大木の少ない韓国で作られた細長い板の船。
ただし、絵巻物がどれだけ正確に描写しているか定かでない。

<工匠と民具>
日本人は暑いとすぐ裸になる風習があった。
褌は着衣のうち。相撲取りの裸を自然と感じる。

建築作業にあたっては作事小屋を設けるのがきまりだった。

軟質文化と高湿文化 刃物を使うか使わないか

<旅と交易>
昔は旅する人が非常に多かった。

<武士の生活>
絵巻物で見るかぎり、武士の世界というのはいかにも異質の世界であったという感じがする。

武士の描かれる位置 公家との関係

<住居>
貴族文化というのは何だろうか。高床の家に住み、戸障子というものがほとんどなく、間仕切りも御簾・几帳・襖・屏風などを用い、冬など冷たい風がすうすうと吹き抜けてゆく邸。その寒さを防ぐための厚着、それも広袖寛衣のおよそだぶだぶしたもの。そして、それらはまったく生産労働を伴わない生活を象徴している。

こうした住まい方はけっして北方のそれではない。おそらく南方から持ち伝えられた住まい方ではないだろうか。

12世紀の頃から すきま風を防ぎ、室内を暖かくしてすごす工夫がされる

寝殿から書院へ

<火と生活>
火鉢 寒い貴族のすまい 江戸時代には火鉢も庶民へ 庶民の生活も変わった

篝火 京の町に篝屋 48カ所

<衣生活>
烏帽子をかぶったまま就寝する
烏帽子をかぶったまま行為にいたる

12世紀後半から13世紀 褌が普及し始める

<飲食と生活>
酒の飲み方
山盛りご飯

<信仰と生活>
まつりごとをになう貴族

もともと日本では、この世の中にあるすべてのものに魂があり、夜半闇の中で耳を澄ますと、万象の話している声が聞こえるものだと古老たちから聞かされた。


※新しいホームページで情報更新中!!

投稿者 furukawa_yasushi : 2008年10月16日 10:00

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コメント

「宮本常一」というと、なんだか大学時代を思い出すなぁ、と思ったら、同じ大学でしたね。
違った時代の「あたりまえのこと」って、面白いですね。

投稿者 友造 : 2008年10月18日 20:30

友造 sama
そうなんですよ。
でも、僕らが学校に行ってた時はすでに退官されていましたよね。
でも、民具の研究など宮本民俗学の匂いがぷんぷん漂っていましたよね。
その時は、その偉大さに気がついていませんでした。
今から考えると、もったいなかったですね。

投稿者 fuRu : 2008年10月18日 21:23