« 17万アクセス達成! | メイン | hanawa_h@us---一年点検 »

2009年02月13日

「幻影の書」---ポール・オースター

[books ]

「幻影の書」
著:ポール・オースター 訳:柴田元幸 出版:新潮社
amazon

オースターの最新翻訳とはいっても2002年の著。昨年秋に柴田元幸訳で刊行。
さっそく手に入れて読んだわけですが、家づくりの会のメンバーとの富山研修旅行の帰り、羽田空港で紛失。残すところ100ページで一番良いところ。我慢しきれずもう一冊購入。しかし、専門書ならばともかく小説でこの値段は痛い。でも、読みたい。やれやれ。
というわけで、昨年暮れに読了することができました。
<以下、小説の内容にふれます>

妻と子をなくした主人公はそのやり場のなさを振り切るかのように一人の映画監督の研究に没頭する。その映画監督は無声時代のコメディ映画監督。しかし、ある日突然消息をくらます。
小説の中で主人公が語る彼の作品。
その彼の知り合いから、ある日突然、その監督が現在も生きていてあなたに会いたがっているというメッセージを伝えにやってくる。
そして、たどり着く、砂漠の真ん中。
監督は今にも息を引き取ろうとする、その最後の場面に立ち会う主人公。

映画監督は失踪後、この隠れ家で密かに映画を撮り続けていた。
誰に見せるわけでもない映画。

映画というのは何のためにあるのだろうか?
映画館で感動し、笑い、怒り、共感する、あるいは夢のようなひとときを過ごす。
確かに、それも映画ですが、それは、ショウビジネスに飲み込まれた「映画」でしかない。
では映画とは?そもそも表現とは?

そして、監督の死後、残された作品は彼の遺言にもとづき焼却される。
永遠に誰の目にも触れぬように。

映画とは記録ではなかったのでしょうか。
この世から隔離され、最後は抹殺されてしまう映画とは一体何か?

主人公と映画監督の人生はかさなりあい、大きな渦となって小説を激流に変えます。その最後の最後に自らの痕跡を跡形もなく消し去ること。

これは映画に限った話ではないでしょう。
すべての表現に置き換えることも出来る。
あなたはなぜ表現をするのか?

あなたはなぜ表現をするのですか?

<後日談>
羽田空港で紛失した本は、先輩建築家のお土産袋にまぎれていたことが直後に発覚。時既に遅し。私は本屋さんでもう一冊の「幻影の書」を手に入れたばかりでした。やれやれ。


※新しいホームページで情報更新中!!

投稿者 furukawa_yasushi : 2009年02月13日 10:00

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://af-site.sub.jp/cgi/mt/mt-tb.cgi/1739