« ハンスさんの家づくり 100422 | メイン | 昨日は大多喜の森の見学会(筍堀付き)でした »

2010年04月24日

歌舞伎座、さようなら

[映画・ドラマ・舞台--movie/play ]

昨日は歌舞伎座で助六を観てきました。
千秋楽は28日ですからもう少し先になりますが
いよいよ建て替えということで、この劇場では最後の公演です。

現在の歌舞伎座は、設計:岡田信一郎、施工:大林組で1924年12月竣工、1925年1月開場した鉄骨鉄筋コンクリート造の建物です。あれ?吉田五十八の設計ではないの?といわれる方がいるかと思いますが、この岡田信一郎設計の建物が1945年に戦災を受け、ぼろぼろになっていたものを、戦後になってその躯体を利用して吉田五十八が改修工事、今の言葉でいう「リノベーション」をして、1950年12月竣工、1951年1月開場したのが今の建物なのです。

ですから、当初より無理がある建物だったわけで、例えば吉田五十八設計になる世田谷区が維持保管している猪股邸にみられる空間の絶妙なバランスと間合いというようなものは、ほとんど見ることができません。もともとある躯体を利用してですから、それは致し方のないことなのだなと納得できます。

実際に、座席を詰め込みすぎていて、長時間にわたる歌舞伎公演を観るにはかなりきついし、3階席からは花道はほとんど見ることができません。イアホンガイドが無いとセリフが聞こえない席があったりします。ですから、まあ、劇場としてはお世辞にもほめられたものではない、というのが正直なところです。
それでも、60年にわたる公演の歴史には、今でも語り継がれる名舞台も数多く、それだけ、人々の記憶に残る場所としてあるのだと思います。

さて、助六ですが成田屋のお家芸。江戸時代からつづいている古典です。
その歴史は古く、今のような形になったといわれる『助六所縁江戸櫻』(すけろく ゆかりの えどざくら)の上演が文化8年 (1811)で市村座。その時の助六が七代目市川團十郎でした。錦絵も残されていますが、ほぼそのままの舞台と演出だったと思います。
200年も前の形のまま上演しているというのは驚くべきことです。そして、もっと、驚くのは、そんな時代を越えた演目が現代に生きるわれわれをも魅了してやまないということです。

実際に、助六はいつ観ても面白い。
江戸の自遊人助六。
江戸時代から、自由に生きる助六に人気があったのですね。
そういう演目を歌舞伎座の最後の演目にしたのはよくわかります。
それにしても、昨日の助六は、これまた豪華な配役で、お祭り気分も盛り上がります。

口上で海老蔵が助六の歴史など成田屋に縁の話をいたします。
揚巻は玉三郎さん、白玉は福助さんと、当代の人気女形がつとめます。
助六は団十郎さんで、白酒売に扮するその兄が菊五郎さん。
意休が左團次さんで、なんと、くわんぺら門兵衛が仁左衛門さん!うどん屋が三津五郎さん。
またくぐれの里暁が勘三郎さん。

玉三郎さんの華は言わずもがな、曽我兄弟は団菊で、左團次さんは憎み切れない憎まれ役をうまく演じ、仁左衛門さんは愛嬌のある一面をたっぷりと、三津五郎さんは涼しげな風が吹いてくるような爽やかな存在感。そしてそして、舞台をわかせる中村屋。

勘三郎という役者は面白いですねえ。
舞台に出た瞬間に客席の心をつかんでしまう。
客席も勘三郎さんの登場を待ち焦がれる。
またくぐりは、アドリブも冴えてサービス満点。
主役の助六さんさえ、一時その座を譲ってしまうくらい中村屋さん、舞台に存在感がありました。
そういう主役を出し抜くみたいなことをやってもいやみがないのがまたすごいのです。

来月からは新橋演舞場などで歌舞伎公演は続けられるようです。
そのなかに海老蔵の助六がありました。
海老蔵の初演を歌舞伎座で観たのはいつだったでしょうか。
行ってみたいと思いますが、どうでしょう、行けるかな、まあ行けたらいくというところでしょうか。


※新しいホームページで情報更新中!!

投稿者 furukawa_yasushi : 2010年04月24日 15:30

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://af-site.sub.jp/cgi/mt/mt-tb.cgi/2092