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2011年03月18日

ゆっくりと暮らす

[ゆっくり--slow ]

夜の街の落ち着いている感じに目を凝らせば看板の明かりがところどころ消えていて、不謹慎かもしれませんが、これもまたいいなあと思っています。
私が通勤で使っている西武池袋線は、急行も準急も無くなって、全てが各駅停車で運行中。最寄り駅の東久留米から池袋まで、急行を使ったときに比べて5分から10分ほど時間はかかりますが、よく考えたら「5分?10分?」。大勢にまったく影響はありません。
これで、みなさんの出勤時間を少しずらせば各駅停車での寿司詰めラッシュは回避されることでしょう。そうすれば、さらに問題はなくなります。
私の住んでいる東久留米のエリアは、今まで計画停電が行われておらず、もしかしたら清瀬近辺にたくさんある大型病院への送電の系統にあるために、計画停電が極力回避されているのかな、などと推測しています。
停電が毎日続くのは、かなりなストレスになるのではないかと思いますので、これについては問題なしとは言えないでしょう。計画停電未経験者の私は発言の資格がありません。

ところで、今回の震災が起こる前からレンタルのDVDで見直していたテレビドラマが「北の国から」です。ちょうど、その話をブログでアップして千駄ヶ谷に向かったときに地震は起きました。
もうひとつ。震災前から読んでいた本が、セルジュ・ラトゥーシュさんの「経済成長なき社会発展は可能か?」です。

「北の国から」の黒板五郎さんは東京での大量消費生活へのアンチな態度で、生まれ故郷の北海道は富良野に戻り、もう住めないような朽ち果てた小屋を直して住みはじめます。最初は水道も電気もありませんでしたが、上流の沢から水を引き、風力発電で家に灯りをともします。彼らの生活にテレビはありません。電池式のラジオが一台きり。
テレビドラマの24回分では、純も蛍も小学生でドラマの舞台は麓郷の小さいエリアに限られ登場人物も麓郷の人たちですが、その後のドラマでは中学、高校、就職と二人の成長に連れて、ドラマの舞台は富良野、札幌、東京と広がり、登場人物も広がってゆきます。

麓郷での生活は、当初は東京での生活と対比され、その不便さに悲鳴をあげる純も、母の死に際して東京に一時的に戻ったときに再会した学校の先生の「競争しなくちゃダメだ、勝つべきだ、純もがんばらないと遅れちゃうぞ」という考え方に違和感を感じるようになっています。
知らない間に、大量消費生活と競争社会への父のアンチな姿に純は感化され影響を受けていたのですね。その変化に倉本聰はメッセージを込めています。これが、このドラマのもつ社会性の骨格です。ただし、そうした社会的なメッセージだけではないのがこのドラマの魅力で、ひとが持つ「あこがれ」や「ねたみ」「羨望」「ずるさ」という理屈では割り切れない人間の部分をあわせて描いています。

「経済成長なき社会発展は可能か?」という本は、現在読んでいるところですが、本の論旨は明快で、社会発展というスローガンがエネルギーと資源の大量消費と背中合わせにある事を指摘し、持続的な社会発展などそもそも不可能だと糾弾しています。かなり過激な本ですが、目指せ発展!ではない社会のあり方を問うという意味では「北の国から」に大変近いのかもしれません。

「北の国から」も「経済成長なき社会発展は可能か?」も、今までのあくせくする暮らしではなく「ゆっくりと暮らす」ということが重要だと言っているのだと思います。

福島の原発が心配される中、日本の国民は自分たちに必要なエネルギーについて考えています。原発のトラブルがこれほど恐怖をもたらすならば、計画停電を続けていってもいいという人もいれば、トラブル覚悟でも原発開発は続けてエネルギーをどんどん使って発展するべきだという人もいるかもしれません。どちらが正しいか、それは誰にもわかりませんが、愚かな結末を迎えることだけは避ける、そうした知恵は日本人の誰もが持っているはずだと思っています。

そして、今、あらためて、ゆっくりと暮らすことを考えるときなのだと思います。

大江健三郎の「治療塔」というSF小説は、核で汚染された近未来が舞台です。そこでは、選ばれた優れた者たちが巨大な宇宙船で、宇宙に新天地を求めて飛び立ちます。その宇宙船が地球に帰ってくる。彼らが宇宙で見つけたものは「治療塔」と呼ばれる誰が作ったか分からない治癒効果のある構築物でした。一方、地球に取り残された人々は、汚染された大気の中でわずかに残された資源で暮らすために自分たちの生活を変革します。その変革の立役者がこの小説の裏の主人公なのです。すでに絶版となっている小説ですが、考えさせられることが多く、この機会にもう一度紹介しておきたいと思いました。

私たちはどう暮らしていったらいいのか。その答えはないかもしれません。でも、間違っているかどうか、常に議論をしてゆく必要があるのだと思います。

(2011年3月21日加筆修正)


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投稿者 furukawa_yasushi : 2011年03月18日 19:20

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コメント

近隣に人工透析を行なう総合病院も精神病院も老人介護施設も特別老人養護施設もありますが、グループ2の計画停電でも、停電が見送られたのは最初の3日間だけ、油断していた金曜日は計画通り3時間実行。

投稿者 iGa : 2011年03月20日 12:17

五十嵐様
そうでしたか。
そうすると停電エリアから除かれるのはどういう場所なんでしょう。
ところで、家庭用の電気はたしかに総量は多いので効果があるのかもしれませんが、出来れば別の電気量を節約して家庭用はそのままにして欲しいですよね。

投稿者 fuRu : 2011年03月21日 00:28