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2012年11月19日

新世紀エヴァンゲリオン

[映画・ドラマ・舞台--movie/play ]

「新世紀エヴァンゲリオン」の新しい映画が公開されて話題になっているようです。
アスカ・ラングレーが中心のストーリーだとかそうでないとか。
もともと、1995年から96年にかけて全26話で放送されたTVアニメなんですが、放送終了後から人気が急上昇して、現在にいたるまでその人気が衰える気配がなく、劇場版四部作としてリメイクされる事になったわけです。

その最新劇場版の公開に合わせて、テレビで前二作を放映してました。
私も10年以上前にはなりますが、このアニメにはまっていた方で、劇場版第二作の「破」を見て、ちょっとついて行けない感じにとらわれていて、歳をとったのかなと思っています。
テレビを全部見てストーリーは知っているのに、展開について行けないのです。
第14の使徒「ゼルエル」を覚醒した初号機が食べてしまうシーンがあって、このシーンが異常に印象的だった私にとって、劇場版の「破」は腑に落ちなかったりする、ということも、ついて行けない一因になっていると思います。

と、ついていけない私を尻目に、一緒に見ていた息子が、覚醒してしまったようで、エヴァンゲリオンに金曜日からずっとはまっています。
今時はすごいですね。YouTubeにほとんど全話がアップされているから、レンタルで借りてこなくても見れてしまう。昨日の日曜日は一日中、YouTubeにかぶりつきでTV版のエヴァンゲリオンを見ていました。
何が面白いの、と聞けば、使徒のデザインの気持ち悪さが面白いのだそうです。なるほど。

エヴァンゲリオンは監督本人も言っていますが、思わせぶりでその実何も説明していないのです。何故にその気持ち悪い使徒が人類を襲うのか、その使徒とは一体何者なのか、わからない事だらけで、そのわからないことをああだこうだと多くの人が躍起になって分析を試みている。わからないから話題になるということが、じつにうまくはまったというところでしょうか。でも、そんなこと狙ってできるわけではありません。また、わからない、ということの裏には、実は何かが隠されていそうな感じがある、ということがあり、その何か隠されていそうな感じというものが、実に上手にこのアニメでは表現されているなあと思ったりします。
物語の核を言わずに、その部分を人に想像させる、ということは物語の語り口としては古くからある手法であり、とても大切な手法ですから、その手法を勉強するにはとても良い素材である、というように言えるのかもしれません。

雑文駄文を書いてしまいましたが、我家の息子のエヴァ熱はいつまで続くのやら。最新作の劇場版を一緒に見にいってみようかなと思っています。


※新しいホームページで情報更新中!!

投稿者 furukawa_yasushi : 2012年11月19日 11:34

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