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2017年01月03日

建築をつくるのは誰か?

[a-家づくりについて---house_making ]

みなさま、あけましておめでとうございます。
年の瀬から新年にかけて考えていることを書いておこうと思います。

2016年はやはり「わらしべの里共同保育所」の完成があった。建物を作るとは、設計が大切だとしても、資材の調達、職人の手配、現場の段取りが出来てこそのもの。これらをうまく進めるために「設計」があると言っても過言ではない。そして、わらしべの里共同保育所の仕事を通して自分はそういう設計を今までも心がけて来たことを再確認した。これはやはり、住宅とは違った規模の建物だったからこその経験なのだと思う。

この経験の中でショックだったことがある。それは、入札の時、製材品で設計している、無垢材で作る、今回のプロジェクトはそこが重要なのだと口をすっぱくして説明していたのに、現場説明の後の質疑の中で集成材に出来ませんか、というものがあったのだ。
製材品の資材調達に付いては、しっかりと裏を取っておかないと、いざ実行の時に材が揃わないという事で集成材への変更を迫られる恐れもあると考えて、事前に調べてあった。その事も説明の時に伝え、資材については大丈夫だと言っておいた、にもかかわらず、である。
設計事務所のいう事が信じられなかったのかもしれないが、それ以上にゼネコン側に資材調達能力が無いということを目の当たりにしたのだ。

その時に、ゼネコン、工務店、どちらも同じ工事側と思うが、その役割は何かと考えた。役割は色々あると思うが、資材調達というのはとても大切なのではないのか。安くて良いものを仕入れてくるというのが、工事側の腕の見せ所、他社との差別化の重要ポイントなのではないのか?
その後、資材流通関係の方とお近づきになり、色々実情を聞くことになった。住宅関係の工事の話ではあるが、工事側は資材調達を資材流通に依存している事がわかった。
プレカットから、サッシュ、ドア、屋根材、外壁材、キッキンなどの住設機器、全てワンストップで、資材流通にその調達を依存している。

野菜はあそこが新鮮とか、お肉はあそこが美味しいとか、一円でも安いものを探して買い物する主婦が聞いたらびっくりするかもしれない。そんな手間をかけるなら、資材流通に一括で依存した方が安くなるという理屈なのだろう。それは確かにそうだと思う。
しかし、そのために工事側の役割を放棄してしまっている事に危うさを感じないのだろうか?役割を放棄した途端に臭覚は失われユーザーのニーズから離れてしまう怖ろしさを感じないのだろうか?

建築はものづくり。作るべき建物の計画、設計。そしてそれに基づく資材調達と職人手配。工事の段取り。それらの作業をつなげるマネージメント。
どんな建物を作るのか、どんな材料で作るのか、その材料をどこで調達するのか、どうやって作るのか、職人さんの手配はどうするのか、そしてコストはどのくらいなのか。
これらの作業はいつ時代でも建物を作る場合には必ず必要である。AIが進化して社会にどんどん入り込んできたとしても、それらの作業とマネージメントはなくならない。誰かがやらなくてはならない。では、誰がやるのか?その、誰がやるのかというところで、社会は今、組み換えが起こり始めていると感じる。

2016年から2017年へ。その組み換えが、どんどん進んで行くのだと思う。
その潮目が今なのだ。

がらがらぽん

設計、施工という仕切りは通用しなくなってくる、というかそんな仕切りから解き放たれて自由に動けなかったら、たぶん、生きて行けない、とさえ思う。
では、自分はどうするか?
設計者として何が必要で、どこに足をつけていたら良いのか?
2017年の初頭に、自分の足の踏み出す先を感じている。

Ver.1.1 2017.01.01.(初出:Facebookより)


※新しいホームページで情報更新中!!

投稿者 furukawa_yasushi : 2017年01月03日 22:21