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2004年04月12日

UA・マイルス・ベートーベン

[音楽--music ]

SUN---UA
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UAの「Sun」を聴きながら考えた。
最初に耳にしたとき、音楽が頭の中でうまく形にならなかった。
音楽というのは、音階などのルールがあってそれを聴く側がうまく認識できないと、乱暴な言い方をすればただの雑音でしかない。UAの音楽も雑音のように僕の耳に最初は届いた。

けれど、かなりすばらしいバックの演奏。ソプラノサックスやバスクラリネットなどのリード楽器。そして、ウッドベースと秀逸なドラム。ほんとにこのアルバムでの外山明さんのドラムはすごいのだけれども、そうしたいくつかの確固とした手がかりがあって、僕の耳には音の形が次第にはっきりしてきた。
話は飛ぶけれども、そういえば、レッドツエッペリンのロバートプラントも、最初はよくわからないけれども次第に見えてくる音楽をやりたいのだというようなことを言っていた。
僕らは過剰なる情報の海の中で生きている。すべての情報を感知していたらたぶん気が狂ってしまうのだろう。僕らはアンテナの感度をずいぶんと鈍くさせて、針の穴から世界を覗く。しかし、それは僕らの頭の中の話。身体はすべてを感じている。だから頭と身体はいつでもちぐはぐ。僕らはそのちぐはぐさに何とか折り合いを付けながら生きている。それは一つのバランスの問題。
音楽というのは、音階などのルールはあるが、それは実は実在しない。そこにあるのは音そのもの、ただそれだけだ。ジャズを長く聴いていて、いつも感じるのは、そこには音そのものがあるだけだってこと。音階なんてそこには実在しない。では、ルール(音階や形式)とは何か?それは、僕らが必死になってしがみついているバランスのもと。でも、必死だから時には息抜きやよそ見も必要だってこと。息抜きやよそ見をさせてあげることって、とても大変なことだと思う。そのためには、ひとまわり大きな世界が必要だから。
ベートーベンの弦楽四重奏曲-作品番号131。こんな音楽がこの世の中にあったのか・・。ちょっと前に、おおいなる驚きとともに発見した。聴いたことのない方。是非聴いてみてください。ぶっとびますよ。ベートーベンは音楽というものを既成の形式から解き放ちながら突き進んでいった人なんだと思って涙が出た。ベートーベンの世界はとてつもなく大きい。
ジャズの世界だったらマイルスデイヴィス。アコースティックからエレクトリックへ。その歩みはCDを通して知ることが出来ます。ほんと、すごいです。村上春樹も、新境地を切り開きながら突き進んでゆくマイルスの姿を賞賛して、自分もそういう生き方をしてゆきたいと言っていましたね。「ねじ巻き鳥」から「海辺のカフカ」というのは、そういう村上さんのあらわれなのだと思います。
UAの音楽を聴きながら、僕は自分がどんどん解放されていることに気づく。これはすごいこと。
そして、僕の手がける建物も人々を解放し続けるようになりたい。そのためには、僕の世界が大きくならないといけない。まだまだがんばらないと。
UAの音楽を聴きながらそんなことを考えた。

投稿者 yasushi_furukawa : 2004年04月12日 00:04

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