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2004年05月13日

41

[いろいろ--misc. ]

孔子は40にして惑わず、といった。
41回目の誕生日をむかえて年齢についていろいろ考える。

そうそう、数えで41歳は、満42歳。男の本厄の歳でもあります。
昨年は前厄。晩秋に高尾山にお札を納めました。
今年は初詣にいってお払いをしてもらいました。
友人に東伏見稲荷が良いと聞いてから毎年初詣は東伏見稲荷に決めてる。

建築の世界ではけっこう縁起を担ぐ。
地鎮祭や上棟式は大安の日以外あり得ない。
地鎮祭をやらないなんてもっとありえない。
六曜には関心を持つ。
電子手帳として使い続けているPalmの予定表にも六曜を表示出来るようにしている。
(最新のSonyのPalm-Clieでは標準で六曜が表示出来るらしい。気になる。)

孔子は言いました。
私は、十五の時に学問で身を立てようと決心しました。(志学)
三十の時に、学問などの基礎がきちっとして、独り立ちができるようになりました。(而立)
四十の時に、狭い見方に捕らわれることなく、心の迷いがなくなりました。(不惑)
五十の時に、天が自分自身に与えた使命を自覚しました。(知命)
六十の時に、何を聞いても素直に受け入れることができるようになりました。(耳順)
七十の時に、自分がしたいと思う言動をしても、人の道を踏み外すことがなくなりました。(従心)

自分の場合はどうだろう。
15歳---中学生。何になろうとしていたんだろう。そのころ小椋佳の影響で詩を書いたりギター弾いたりして、けっこう真面目にシンガーソングライターになろうとしていたかもしれない。それから、プラモデルにもはまっていた。一生、模型を作っていることが出来たらどんなに幸せかなんて考えていたような記憶もある。
高校生になってからは、社会についてのさまざまなことに疑問をもつようになる。ロッキン・オンという音楽雑誌の影響が大きい。評論家になろうかと思った事もあった。小林秀雄を読みあさる。そして、進路を決めるときに、建築を選んだ。
20歳---若造。大学生。建築ってなんだろう?とか、もやもや考えていました。
30歳---社会に出て数年経過。20代では全く相手にされていなかったのが、30になったときを境にして、何だか急に、社会から認められ始めたという感じを持った。そして、結婚。子ども二人。
そして、40代をむかえ いま41歳。

40代と言うのは、建築設計の世界ではまだまだ若造なのだそうだ。どうやら、私たちは「新人」と言うジャンルにはいるらしい。若造だ、とはいってもおかげさまで一通りの事を責任を持ってはたせるようになった。そうでなかったら、独立なんて出来ない。あとは、経験を積む事。積んだ経験がたい肥となり発酵して、味に深みをつける。

還暦を越えた大先輩の設計者の方々をみていると、発酵しているなあと思う。30代、40代の経験が、きっと10年、20年の年月を経て発酵しているんだろう。私は40代になったばかり。今から発酵してもいられないけれども、20代、30代で経験させてもらった事は、ほど良く発酵し始めている。

と、おもったところで、孔子の言う「狭い見方にとらわれない・・・」というのはどういう事かなと考えた。
最近、特に、自分のいる世界、自分に手が届く世界の狭さが見えるようになってきた。
変な話かもしれないが、ちょっと前まで私の世界は永遠に続く、無限大の大きさを持っていたと思う。
それが、自分の大きさをリアルに実感出来るようになった、というのだろうか、世界がよりリアルに、有限なものに見えてきた。
「狭い見方にとらわれない」どころか、「自分の見方の狭さに気づいた」のだ。
でも、よく考えてみると、このふたつは、ある模様の地と図ではないかと気づいた。
「狭い見方」をより俯瞰で見る事が出来た。そう考えると孔子のいっている通り。
私は40で「不惑」のはじっこにしがみつく事が出来たと思うようにした。

とにかく、自分の小ささが見えてきた事だし、努力してもっともっと上昇して、次に来る50代に発酵する素を積んでおかないとと思った。
50代は、もうすでに「新人」ではないのだから。

投稿者 yasushi_furukawa : 2004年05月13日 13:36

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