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2004年08月31日

「世界をデザインする家」

[00-家づくりについて---house_making ]

事務所の近くで工事が始まった。新築住宅だ。
そこに、こんな看板が建っていた。
「世界をデザインする家」・・・・。
ところで「世界をデザインする」ってどういうことだろう。

調べるとすぐにわかった。
住友不動産が展開している企画型住宅の名称だった。
「世界をデザインする家」

特徴としては
1、2X4工法でつくる住宅である。
2、コートダジュール、オックスフォード、エーデルワイス・・・など10種類のタイプから好みのものを選べるシステムであること。

1はともかく、2が「世界をデザインする」ということのようだ。たとえば、コートダジュールタイプの説明には「南フランス、コートダジュールに建つ邸宅をイメージしました。」とある。まあ、そこで紹介されている建物のどこが南フランスの・・・なのか、という話はともかく、写真集でみた、あるいはかって旅行した時に見かけた「あのすてきな外国のお家」を日本で建てようということらしい。

そこで考えてしまうのは、家というものは、本来その土地の気候風土に合わせて、長い年月を掛けてその姿形がつくられてきたはず、ということ。
とすれば、日本には日本の家、ドイツにはドイツの、エジプトにはエジプトの、タイにはタイの・・・・・、
というように、その土地なりの家のあり方があるのだから
「世界をデザインする」なんて言った時の、その強引さが気にかかる。

ただ冷静になって考えてみると、この「世界をデザインする家」に対して多くの人が関心をもっているのは事実のようだ。

僕は住宅のデザインという世界で仕事をしている。
デザインというのは、さまざまな機能をかたちにすることだ。
住宅に求められる第一の機能は
外の環境から身を守ること。雨で濡れないように屋根を掛ける。風に吹かれて身体が冷えないように壁を作る、などなど。雨から、風から、雪から、身を守るかたちが住宅につちかわれてきた。それが民家の世界だ。今もなお、われわれは民家から教わることが多いのは、われわれが住んでいるこの土地の気候風土が、ずーっと変わっていないからだ。(日本は何百年も前から高温多湿である)

では、そうした気候風土を無視した家というのはどうなんだろう。

ひとつは、建築に使われる材料、特に外壁に使われる材料が改良され耐候性が増したこと。
電気などのエネルギーを使って、建物内の湿気の対策が可能になったこと。
つまり、そういう目に見えない技術的な手法で気候風土への対策が出来るようになった、ということがある。
こういう技術至上主義な考えを推し進めれば、民家の世界でみられた「気候風土」と「家の形」の関係はその必然性を失うことになる。
そのひとつの現れを「世界をデザインする家」に僕は見たのだ。

本来、その土地の必然性から生まれてきたかたちが、単なるイメージとして独り歩きしてゆく。
五十嵐さんのMADCONECTIONの「テーマパーク化する住宅」は、まさにその姿をとらえている。

これは、僕らが住んでいる世界そのものではないだろうか。

イメージと現実は決して同じものではない。同じではないけれども、そこにつながりを見いだすことによってわれわれはこの世界で生きてきたのではないだろうか。僕は、そのつながりを見いだすことを放棄することは出来ない。

一方、単なるイメージでしかないものを現実と勘違いしてしまう世の中でもある。
テレビで流れるイメージ、テレビでぶつ切りにされるイメージ。そこに現実を読み取ってしまうこと。これはイメージと現実をつなげようとする僕らの無意識がもっている力だと思う。この無意識の力に対して意識的になること。

繰り返すが、イメージと現実は決して同じものではない。同じではないことを強く意識して、それらのつながりをつちかうこと。

つちかうこと。人と人とのつながりの中で。

僕は、住宅をそのようにデザインしたいと思っている。

投稿者 yasushi_furukawa : 2004年08月31日 11:46

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