2004年09月01日
僕のOMソーラー原体験-1990
5月の南相木村は
日中はTシャツでも過ごせるくらいだけれども
日が沈めば冷気が空から降りてくる。
僕らはその日小屋の中でにぎやかに歓談していたのだが
いつの間にか暗くなった外に広がる星空を見ようと
みんな外にでた。
外の寒さは格別で、みんなの息は白く、それでも夜空の星は輝くばかりで
みんなで見とれ、しばしを時間を過ごす。
そして、もうそろそろかと、戻る僕らをむかえてくれた小屋の中の暖かなこと。
寒空に冷えきった僕らの身体を芯から暖めてくれる。
ほっぺもポーッと赤らんでくる。
「これがOMソーラーなのか・・・」
その時の感動は、僕の身体にいまでもはっきりと記憶されている。
1990年のことだ。
これが僕の「OMソーラー」原体験です。
14年経った2004年の今でも、その時の体験はこの身体にはっきりとした記憶で残っています。
当時、僕は長谷川敬アトリエにはいったばかりでした。
そんなところへ、その事務所で設計した長野県の南相木村にある小さな別荘へ
ハンガリーからのお客さんをご案内するという話が持ち込まれたのです。
僕は、接待というには不思議な役回りでその企画に同行することになりました。
ハンガリーからのお客さんのお世話役です。
先ほどの話はその時の体験です。
OMソーラーというのは
東京芸術大学の教授であった建築家奥村昭雄氏が中心となってつくりあげたパッシブソーラーの仕組みです。
その仕組みはとってもシンプルで、日中の太陽熱で外気を暖めて室内に取り込み、その熱で床下のコンクリートを暖めます。この暖まったコンクリートは日没後、ゆっくりと放熱して建物を底から暖めることが出来るのです。
もっと詳しくお知りになりたい方は
アトリエフルカワにお問い合わせいただくか、
次のサイトにアクセスしてください。
OMソーラー協会ホームページ
OM研究所ホームページ
僕が体験した、あのガツンと殴られるような、そして身体の芯から暖めてくれるその暖かさ。それこそがOMソーラーの神髄です。
そして、この素晴らしい仕組みを、より多くの人に知って欲しいと思っているのです。
僕の「OMソーラー」の原点がそこにあります。
・僕とOMソーラー
1990年3月 長谷川敬アトリエ入所---OMソーラーを知る
最初に担当したOMソーラーシステムの住宅「伊藤邸」(国分寺市)
OMソーラーの可能性などを探るため
同世代の設計者の集まりで勉強会などを任意で企画
1995年8月 同事務所退所 シルクロード、チベットへの旅行
1995年11月 株式会社内田工務店入社---工務店の立場でOMソーラー住宅を手がける
1998年5月 アトリエフルカワ一級建築士事務所設立
茨城県のOMソーラー加盟工務店「日高見建設」さんと勉強会などを企画
1999年1月 東村山のOMソーラー加盟工務店「相羽建設」さんのモデルハウスである「Ai_House」完成
設計と現場監理をおこなう
2001年2月〜
2003年5月 OM研究所(目白)に席をおき設計活動をする
この時「OMフォーラム」にOMソーラーに関する記事を多数書く
「OMフォーラム」のホームページの編集に関わる
OMソーラー協会本社屋「地球のたまご」の実施設計に関わる
2003年6月 事務所を現在の場所に移す。
投稿者 yasushi_furukawa : 2004年09月01日 14:08
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://af-site.sub.jp/cgi/mt/mt-tb.cgi/170
コメント
古川さんこんにちは。また初めまして。私のブログへのコメントありがとうございました。
古川さんのブログはとてもコンテンツが多くて歴史を感じます。すごいですね。
ギターがお好きとのこと。クラシックギターはお弾きになりますか?弾くときはあの甘美な音色が体に直に伝わるのですがそれを経験してしまうともう虜になってしまいます。
OMの原体験読ませていただきました。今協会や工務店に求められるべきものはOMの原点でまさに古川さんが経験された原体験のようなすばらしさを一般の方々に少しでも知ってもらうことだと思います。
古川さんの原体験を読ませていただき、こういうことが大事なんだと改めて感じたものですからコメントさせていただきました。(落書きにはなりませんでした)
投稿者 中里一雄 : 2004年10月08日 12:06
中里さん こんにちは
僕のOM原体験に共感していただきとても嬉しく思います。
僕があの記事を書いた気持ちは
中里さんが言って下さった通りです。
僕がブロッグを通して言えるのは、僕が体験したあのOMソーラーの素晴らしさ、ただそれだけです。
ギターについては中里さんのブロッグにコメントしますね。
投稿者 古川泰司 : 2004年10月08日 12:07