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2005年06月21日

鳴沙山--敦煌

[旅--travel ]

1995年8月29日。午後2時。
柳園という砂漠のなかにある何もない町。そこには駅だけがあって、その駅前から敦煌行きのバスがでる。
駅前で梨を広げる老人。一つ二つ買う。とてもおいしい。
そして、僕らを乗せたバスは砂漠の中をただまっすぐに走り、敦煌の町にたどり着く。

バス停にいた客引きが日本語で書かれたチラシを持っていた。
たぶん、日本人の旅行者に書いてもらったものをコピーして使っているのだろう。
すこしすると客引きは日本人の宿泊客を連れてきた。
日本人の姿を見るとほっとする。
僕らは、その手書きのちらしの文字の悪意のなさにも惹かれて宿を決めた。
「民族賓館」
すごい名前だ。いまでも忘れようがない。

その夜は敦煌の町を散策。
フロントで莫高窟へゆくツアーを予約。
僕らは西安の人民ツアー(中国人向けの観光ツアーをこう呼ぶ)の面白さが忘れられず
この敦煌でも人民ツアーで回ってみることにした。

一夜明け、ツアーの前に、これから向かうトルファンまでの列車の切符をホテルの人に手配してもらえるか訪ねてみた。
すると、近くにいた中国人の女性が、列車で行くよりもバスで行った方がいいと言う。
それでは、と、バスの手配をホテルの人に頼んでから、ツアーに出発することにした。

バスは、まず莫高窟へ。
莫高窟は、行ったことがある人ならわかるだろうが
有名な石窟は別料金だったり、特別な許可が必要だったり
公開されていなかったりで、ほとんど見ることができない。
また、公開しているそれぞれの石窟内はとても暗くて、ほとんど何も見ることができない。
入り口でレンタルしている懐中電灯は電池が弱くて役に立たない。
結局、僕らは石窟内の何も見ずに帰ってきたようなものだった。
でも、あの場所にたったということは、ほかの何ものにも変えられない体験だったことは確かだ。
その体験は、間違いなく僕の人生の宝になっている。

砂漠の風を感じながら僕らは駐車場で待つ、ツアーバスに戻った。

ツアーは一度敦煌市内に戻って昼食タイムとなる。
午後からは、映画「敦煌」のためにつくられた砂漠の中のセット「敦煌古城」などをみる。
日中の温度が恐ろしく上がるため、3時前後は中休みで再びホテルに戻った。

ホテルに戻った僕らを待っていたのは
トルファン行きのバスの手配をしてくれていた女性だ。
今夜発のバスが、夕方出るように変更になったというのだ。
一体全体どういうことか。
まったくわけもわからない。
しかし、月牙泉も鳴沙山も見ていないのに、そんなことには応じられないと言うと
特別に僕らだけを乗せて月牙泉と鳴沙山に行ってくれることになった。

これらは、その時に撮った写真だ。
月牙泉も鳴沙山も長くいる場所ではなかった。それは、着いてすぐにわかった。
だから、僕らは、もういいのかと言うバスの運転手の気遣いもよそに
ホテルに戻っていった。

ほぼ24時間の敦煌滞在だった。

僕らはトルファンへ

投稿者 yasushi_furukawa : 2005年06月21日 00:00

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