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2005年12月30日

「ものをつくる」ということ--2005年を振り返る

[00-家づくりについて---house_making ]

2005年は暮れになって偽造計算書の事件で 一級建築士という存在が注目されました。 また、建設業界というものも注目されています。 この事件に関しては テレビで盛んに報道されていますね。 黒幕を追求することも結構ですが まじめに建設現場で働いている人たちまで 疑いの目で見られるような、そんなことにだけはなって欲しくないと思っています。

ものをつくると言うことは
管理することではないのです。
管理されてつくられたものには魅力はない。
つくる人の自立した気持ちがものをつくる元なんです。
その大本は、信じることでしかその存在を証明できないもの。
信じることが出来なくなったら
そこには、魅力的なものを作り続けてゆく関係は崩壊してしまうのです。
そんな疑心暗鬼の世の中にはしたくないと思っています。
(アトリエフルカワ通信 No.141)

2005年を振り返ったときに
建築の設計に関わるものとして
もっとも大きな衝撃であったのは
「構造計算書偽造事件」です。

全くノーチェックだった審査機関にも開いた口がふさがらないのですが
それをいいことに、偽造を重ねる輩も信じがたい。
さらに言えば、明らかに少ない鉄筋、明らかに小さい柱と梁、
それら常識を逸脱している設計図の、そのとおりに施工してしまう
ゼネコン、ゼネコンの現場監督、そして職人さん。
つくらせる販売会社。

明らかにおかしいと、それに気がついていた人は少なくなかったと思います。
では、なぜ、その異常さが明るみに出なかったのか?

お互いに見て見ぬふりをしていた、ということでしょう。
それはいったい誰のためなんでしょうか?
何のためなんでしょうか?

僕は「ものをつくる」ということは
個人と個人が、それぞれ自分の責任とプライドを持って
前向きにのぞまなければなしえないことだと思っています。
そして、本当の意味で明日を築くものづくり
魅力的なものを創造するものづくりは、
そういう前向きな姿勢からしかうまれないと考えています。

そこでは、人に言われたことをやっていればいい、なんていうことはありえません。
個々が、どんどん気付いて、どんどん自らの責任を受け入れてゆく。
これは、トップダウンの上からの管理で進めてゆく方法とは全く異なった方法です。

みなさんのなかには、そんな理想主義みたいなことを言って、といわれる方もおられるかもしれません。
しかし、昔ながらの職人さんたちにとっては
そんなこと当たり前のこと。
そして、「そんなこと当たり前だよ」いってくれる職人さんというのは、
実はまだまだたくさんいるのです。少なくないのです。

僕は、今回の「見て見ぬふり無責任事件」と言ってもいい偽造事件がきっかけになって、
見て見ぬふりなど出来ない、手を抜くことの出来ない
ものづくりを、根底で支えてくれている人たちにまで
とばっちりが及ぶことを恐れています。

社会は、そして、少なくとも僕らは
それぞれが自立し責任を持って仕事に取り組む人びとを
まずは守っていかないといけない。
そういう人たちを守ってゆくことでしか
今回のような「無責任事件」を払拭することは出来ないでしょう。
管理やチェックのシステムをいくら改善しても
責任をよそになすりつけるような輩に対してはいたちごっこにしかならないのですから。

ものづくりは管理ではありません。
今回の事件で、ものづくりをささえる根っこが
脅かされるようなことがあってはなりません。
ものづくりの根っこを守ってゆかなくてはなりません。

きたる2006年に向けて
僕ら設計者には
ものづくりの根っこを守ってゆく使命があると
今、強く感じています。

投稿者 yasushi_furukawa : 2005年12月30日 11:00

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コメント

ものつくり。
確かに責任とプライドを持って取り組む事によって
結果に繋がっていくんですよね。
建築だけでなく、うどんや、布小物などの
小さな『創り』にも同じ事が言えますよね~。

うどん粉の「さぬきの夢2000偽装問題」
こちらも規模は小さいけれど同じような偽装問題で
一生懸命やってる地元のうどん屋さんも
ダメージを受けました。

根っこの部分をしっかり見極める事はその仕事に携わって居ない人では
なかなか見えにくい部分なのだけど、
噂だけが一人歩きしてしまう…これって本当につらい事ですよね。

しっかり、自分たちだけでも根っこの部分を
きちんと守って行きたいと思いますね。

投稿者 ぎんなん : 2005年12月30日 16:16

とても重い言葉だなと思いながら読みました。
ものを作るという事は
心を作ることだったりするのだな~なんて思ったりもします。
管理することじゃないはずなのに、逃げる、甘える輩が出てきてしまったこと。
職人さんの「美意識」は??
「気概」は???
作られた家のうち外で、積み上げられる時間や思い出を、確かにするためのもの・・・それが揺らいでしまった事件で、ずーーーっと考えていくと、腐敗の構図ってなんかとんでもない所までいってしまいそうで、だから「考えるのを止める」って風潮があると思うんです。
でもね。
その片方で、まだそういう美意識や気概を持っている人がいるという宣言。
こういう、「当たり前を当たり前の事として成立させるという決心」を持っている方の言葉を聞くと、まだ・・・なんとか・・・と思ったりもする。

いい年に。
見る人も
聞く人も
頼む人も
作る人も
美意識溢れる、そんな日本に。

投稿者 kazoo : 2005年12月30日 19:28

ぎんなんさん
誰もがみんな、まもるべき根っこの部分ってあるんですよね。
それぞれが、そこを自覚することで、より豊かな関係も生まれるのだと思います。
ブログって、そういう点で豊かなコミュニケーションになる可能性を持っていると思います。
もう、新年です。こちらこそ、今年もよろしくお願いいたします。

kazooさん
「当たり前を当たり前の事として成立させるという決心」
それは、たいそうなことではないのですが
それを当たり前と感じなくなってしまうような世の中になっているようなところが怖いです。
ともかく、いわれたことだけやっておけばいいというような人とは一緒に仕事をしたくはない、一緒に仕事をしていてもいやな気分になるだけ。それだけなのです。

投稿者 fuRu : 2006年01月01日 01:39

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