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2006年03月28日

ふしぎな数字

[風景--landscape,cityscape ]

街を歩いていたら、不思議な数字が目にとまりました。
なんでしょう?

と思っていたら、もう一つ発見。

しばらく考えて、やっとわかりました。

5丁目13番11号
5丁目13番22号

そうです、住居表示なんです。

なかなかしゃれていますよね。
道行く人の気分も、こういうアイデアでずいぶんと軽やかなものになります。
住居表示の見せ方一つで
ひとつひとつの家が町並みに参加しているんですね。
とっても素敵だなと思います。

町並み、あるいは街の雰囲気というのは
一軒一軒の家に住んでいる人の
ちょっとした気持ちの持ち方から生まれてくるんだと思いました。

採集地:成城学園

投稿者 yasushi_furukawa : 2006年03月28日 10:19

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コメント

はあ~
流石は成城、洒落てますね
一軒だけでなく地域でする事に街の雰囲気が作られるのでしょうね
似合う家が沢山あるのも条件かもしれませんが・・

投稿者 GG-1 : 2006年03月29日 01:01

GG-1さん こんにちは
お怪我の方はいかがですか?
精力的にブログを更新されているところを見るともう大丈夫なのかと思っています。

さて、これは、想像ですが
この住居表示は、二軒の家を設計した設計者のアイデアなんではないかと思うんです。
このちょっとしたアイデアでもずいぶん違うなと感じました。
たとえば、町並みがおかしくなっているのは
敷地に許容されるぎりぎり一杯まで家を建てるものだから
街との距離感がまるで無視されているという現状があると思います。
だからといって、家を小さくするという提案は
クライアントには容易に受け入れてもらえないという現実もあったりして
そのへん、設計をやるものとしては大いに悩むところではあるのですが
住居表示のデザインをちょっとこだわるくらいならば
クライアントの了解を得られると思います。
それが、ちょっとしたアイデアということ。
でも、何はともあれ、そういう気持ちが起きてくれる街というのが何よりも大切なのですが。

投稿者 fuRu : 2006年03月29日 09:38

村上歩きのエッセイに、アメリカのニュータウンの話が出ていました。
そこは、人工的に計画された街で、広い敷地が街に対して解放されているつくりで、広々としていて、せせこましさなんて全くないそうです。しかし、それ故に、得体の知れぬ恐怖もそこには潜んでいる。それは、アメリカが抱えてしまった「何か」なのでしょうが、要は、敷地が広くて、街に対して十分に解放されていることでは、何も解決されないということ。村上春樹は、日本のびっしり並んで建っている長屋の方が、安心感があるといっています。まさにその通りだと思いました。
狭い路地をお互いに気を使いながら一緒にうまく使ってゆく、そういう文化が、日本の町並みを作ってきたんですよね。
ですから、先のコメントで、敷地一杯に建てることが悪いように書きましたが、そればかりではないということです。
コメントで、追記しておきます。

投稿者 fuRu : 2006年03月31日 09:34

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