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2006年07月08日

"drive"と"carry"

[音楽--music ]

先日の「N響アワー」は
先頃なくなられた岩城宏之さんの追悼特集でした。
興味深い逸話が数多く語られたのですが
「オーケストラは"drive"してはいけない。"carry"する。」という言葉がとても印象的でした。

オーケストラは"drive"するものじゃあない。
"drive"とは、意のままに操縦する、というようなことでしょうか。
では、"carry"とは何なのでしょう?

Yahoo!辞書「新グローバル英和辞典」などをひもとけば
「重さを支えながら運ぶ」という意味が第一に出てきます。
ニュアンス的にはオーケストラの「重さ」を支えながらある状態にまで進めてゆくということになるのでしょう。

そこで、ちょっと想像力をたくましくして考えてみました。

まずは、指揮者はオーケストラを指揮するのですが、それは自分の意のままに操るのではない、操縦するのではない、ということ。
オーケストラの「重さ」とは、楽団員のそれぞれの意志なのではないかと思います。
楽団員の個々の意志というものは、バラバラになりがちな、あやういものでしょう。そうした個々の意志を支えながら、ある状態にまで演奏を運ぶこと。

人と人が集まって、何かをする時に
複数の人の意志と意志とがどのように共有されるのか、
どのように共有されるのか、そのプロセスはどうあるべきなののが望ましいのか、
その時、先頭に立つ人、先導する人はどうするべきなのか。

そういうことを、"drive"と"carry"という言葉を使って語っているんだと思いました。

岩城宏之さんの言葉が僕らに伝えてくれるものは奥深いですね。

ちなみに、ゲストの外山雄三さんの内輪話で
この言葉は若い頃にカラヤンから聞いたものだそうで、
岩城は晩年までその言葉の意味するところを大切に探求していたのでした。

さて、この言葉が僕の心を深く揺すぶるのは、
「バラバラになりがちな、そうした楽団員の個々の意志を支えながら、ある状態にまで演奏を運ぶこと。」ということを、「バラバラになりがちな、設計のスタッフや現場の職人さんの個々の意志を支えながら、建物を完成させる。」という言葉に置き換えれば、僕の仕事に深くひかりを投げかけてくれてもいるからなのです。

<蛇足>
サッカーのWCで、ここのところのフランスを見ていて思うのは、チームを構成しているメンバーが、自分たちのやるべきサッカーを共有しているということです。その共有のためには、監督は何かの投げかけをするのでしょうが、選手たちを操縦しているわけではありません。また、中心となる選手の指令によりその他の選手が意のままに動くということでもないわけです。フランスの選手たちを見ていると誰かに操られている、誰かの指示を持っている、と言う感覚ではなく、それぞれが自立した判断をしていることがよくわかります。逆に、そうでなくては、意志の共有は出来ないでしょう。
フランスの強さは、選手同士で意志が共有されていることだと思っています。
そして、それは1998年の大会で優勝したときのフランスと同じですね。このままゆけば、ひょっとして、今回の大会もフランスが優勝する様な気がします。あるいは、そういうフランスに優勝して欲しいと僕は思っています。

投稿者 yasushi_furukawa : 2006年07月08日 16:45

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コメント

ずいぶん前だけど「N響」の会員だったことがあります。岩城さんが振るのを楽しみで入会したようなものでしたが、実際には2回しか聞けなかった。しかし、その2回とも、それは感動的な演奏会でした。まだ若く「カラヤン」なんか敵じゃない...という感じでした。carryという言葉はラグビーではよく使います。状態をくずさず前へ進むような場合です。carry backも。

投稿者 shin : 2006年07月09日 14:52

shinさん
実は僕ははずかしながら岩城さんの演奏を生で聴いたことがありません。
僕が見たN響アワーでは、岩城さんが振る武満徹の「テクスチュアズ」をやっていて、それを見たら、岩城さんの、その"carry"するということの意味が直感的に伝わってきたのでした。やはり、生で体験したかった。

ラグビーはサッカーよりもチームスピリッツが大切で、選手それぞれの役割がすべて大切だということが、このスポーツの魅力である、ということを聞いたことがあります。たしかに、サッカーでは時として一瞬のひらめきのように出現する個人技で硬直した試合の流れが一転するという展開がありますが、そういう劇的な要素というものは、ラグビーにはとても少ない。その代わり、チームスピリッツが重要になってくる。

チームスピリッツをどのように大切に育ててゆくかと言うことは、人生のいろいろな場面で問いかけられます。音楽やスポーツから学ぶことは多いですね。

投稿者 fuRu : 2006年07月09日 15:57

furuさん
岩城さんは結構汗かきで、2列目ぐらいにいると飛んでくるのではヒヤヒヤでした。ヒゲの山本マスズミ氏と芸大の同期で二人とも指揮科は合格せず、確か岩城さんは打楽器、ティンパニーかなにかで潜り込んだと聞いてます。音楽とスポーツ両面に興味があるfuruさんみたいな建築家は意外と少ない気がします。特に合唱とか古典音楽とかには....
ところで、(ラグビーでも)ティームスピリットは個人個人がある一定以上の領域に達していることが大原則ですが....

投稿者 shin : 2006年07月09日 18:18

>ティームスピリットは個人個人がある一定以上の領域に達していることが大原則です
まったくその通りですね。
というわけで、今晩(明日早朝)の決勝戦は、そういう意味でも大変楽しみであります。

ただ、これはサッカーの話だけではなくて、すべての社会的な活動に言えることだと言うことが大切ですよね。
そのために、日々精進しなくてはと気を引き締めております。

投稿者 fuRu : 2006年07月09日 21:04

こんにちわ。このカラヤンの言葉はいろいろな意味で含蓄がありますので、僕も感銘を受けました。
要は「オーケストラを力任せにあやつろうとしてはいけない。オーケストラが自分たちで気分良く弾いていると思わせるようにするのがいい」という、ちょっと「禅」めいたことですね。いや「気功」「合気道」に近いかもしれません。

同じような話として、アンドレ・プレヴィンという指揮者が、若い頃にピエール・モントゥーという指揮者に習っていたときのエピソードがあります。
コンサートでハイドンの交響曲を指揮したプレヴィンがモントゥー先生に感想を求めたときの答え。
「素晴らしかったよ。でも今度指揮するときには、連中(オーケストラ)のじゃまをしないことだね」

拡大解釈かもしれませんが「場の空気を読め」というのも、近いことのような気がします。

投稿者 at.yamao : 2006年07月14日 15:41

at.yamaoさま
カラヤンというのはなかなかですよね、って、僕が今更何を言うのか、というところですが
山尾さんのコメントを読みながら、そういえばカラヤンの演奏はどこか東洋的な懐の深さを感じるときがあるなあと、そんなことを思いました。

ところで、ご存じかと思いますが、プレヴィンはジャズピアニストでもあります。
ピアノトリオでのぞんだ「My Fair Lady」なんて、名盤ですね。
ジャンルを超えて活躍した人です。
それにしても、モントゥー先生の言葉も含蓄がありますね。

追伸
武満徹全集第一巻が届きました。
12枚のCDを順番に聴きながらコメントのお返事を書いております。

投稿者 fuRu : 2006年07月14日 15:49

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