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2006年03月02日

「前川國男 建築展」

[建築--architecture ]

最終日を前に「前川國男 建築展」に行ってきました。

18の春。
大学受験で降り立った駅の改札を抜けたところで
僕の前に現れたのは、前川國男設計の「東京文化会館」だった。
すでに時刻は夕暮れを過ぎ、あたりは薄暗く
小ホールのエントランスの、ガラスの壁の向こうから
あかりがこちらに届き始めていた。

その時の印象を僕は忘れることは出来ない。

深くて巨大な庇の
そのボリューム感に圧倒されながら
気がつけば、その軒下ともいえる空間に
包み込まれる心地よさに身体ごと預けていたからだ。

もちろん、建築を目指して
東京の大学に入ろうという意気込みでそこにたっていた僕であるが
その時初めて、建築ってこういうものなんだと知ったのだと思う。

彫刻でもなく、ただのスペース(空いた空間)でもない、
「もの」と「狭間」とのその中間。
「地」と「図」の、その間、両義性。
その間にたって、それぞれをつなぐこと。
それこそが、僕らが身体全体で感じている世界。
その世界について考え、つくりあげること。
それが、建築に関わることであり、建築の喜びである。
ここに、僕の建築の原点がある。

今回の展覧会を見ていて
前川の視線の先を感じることが出来た。
たとえば、「テクニカル・アプローチ」という言葉が出てくるが
これは、あたりまえだが、技術のための方法論ではない。
アプローチというのは、つまりは、こうありたいという思いがあって
それに対して技術的に解決してゆこうということだ。
前川を技術偏重主義の一翼を担うものとしてみることがあるのだけれども
その前川の視線の先には技術があったわけではないということ。
もっと、我々の空間をみていたのだということ。
たとえば、ガラス一枚で区切られた内と外。
内と外をつなぐという前川の強い意志。
その意志が、あの閉塞しない空間を作っている。
そうした前川の意志を感じることが出来た展覧会だった。

<蛇足-1>
ジャガーを乗り回す前川の姿は、なんだか、かっこよかった。
それは、少年の無邪気さをとても素直に現している姿だった。

<蛇足-2>
MADCONECTIONのiGaさんが
同展覧会で展示されていた前川のLPレコードについて書かれていた。
そのレコードはジャズのレコードでコルトレーンのものだった。
僕は、コルトレーンの音楽は
男性的であり、母性的だと思っている。
その両義性は、僕が東京文化会館で感じた
地と図の両義性と重なると思った。


※新しいホームページで情報更新中!!

投稿者 furukawa_yasushi : 2006年03月02日 18:03

コメント

入れ違いくらいかな?

投稿者 秋葉OL : 2006年03月03日 17:41

そうでしたか。
知っていれば、プチオフラインでお茶でもできたんですけれども。

でも、「aneppe」でなくて「秋葉OL」だと
おじさんは、ちょっと、どきっとしてしまいます。

投稿者 fuRu : 2006年03月03日 19:06

こんにちは。
TBありがとうございました。

私が行ったときもかなりの人で
会場内は熱気に満ちていました。
こちらの記事を読ませていただき
この展覧会の知らない側面が
見えました。ありがとう御座います。

投稿者 Tak : 2006年03月08日 16:57

Takさん こんにちは
Takさんの記事は永久保存版ですね。
建築も結構お好きだと見ました。
前川國男は、社会派だとか技術的にとか
そういう点で語られることが多いですが
作られた建築はとてもそれだけでは語れない魅力を持っています。
僕は、どちらかというと、
前川國男のそういう空間の魅力の方に心惹かれています。

投稿者 fuRu : 2006年03月08日 17:05