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2006年05月15日

父の不在

[books ]

内田樹さんが
自らのブログで「村上文学の世界性について」と題して
村上春樹論を展開しておられるのを読んだ。

それに関する××くんとのメール。

××くんへ 古川です。

内田樹さんという方がどういう方か実は知らないのですが
生原稿流出の記事を別の方のブログで知っていました。

リンクで教えていただいた記事は
とっても納得できるものですね。

父親の不在というのは的を得ていると思います。

普遍的なものと個性的なものという軋轢の中で
人の生というものを捉えてみると
村上春樹が描こうとしている世界が見えてきます。
それは、フランツ・カフカが描こうとした世界と同じ世界だと思います。

普遍性というのが
誰にとっても同じ、ということであれば
実は、現実的にはそういうことはないわけです。
まったく同じなんて、ただの概念の世界にしか存在しないのです。
しかし、まったく同じということを前提にしないとうまくゆかないのが社会。
そして、それを可能にするシステムとしての「父」。

村上が真っ向から立ち向かっているのが
この「父」というものだと思います。
「父」不在にして、いかに社会というものが成立するのか?
現代の僕らに求められている深遠なる問題意識がそこにはありますね。

というわけで
うーん、なるほど。
大きくうなずいてしまいました。

もし、村上春樹を読まれていないならば
まずは「ダンス・ダンス・ダンス」を読まれんことを。
次は「海辺のカフカ」
そして、端的には「アフターダーク」
ぜひ読んでみてください。

村上朝日堂が3ヶ月限定で開かれている。
そのなかの白眉は、なんといっても
一般読者と村上春樹のメールのやりとりが公開されている
フォーラムだ。

そのなかのフォーラム-19に掲載されている
「181.判断を差し控えることについて 」がとても興味深かった。

ちょっと、引用させていただく。

村上さんは、そして村上作品の中の多くのキャラクターたちは頭ごなしに誰か(何か)を決めつけたり、否定したりしませんよね。だから読者はいろんな解釈を許されますし、物語の中から滲み出てくるやさしさにあたためられます。

この方の考えにとても共感した。

「決めつけない。」

村上春樹の世界に通奏低音のように響いている
村上氏の切実な思いが、この言葉にあるとおもう。
そして、それこそが、父の不在として立ち現れてくるのだと思った。
父は象徴であり、象徴を生産するシステムそのものなのだと思う。
村上春樹が戦っている相手は、とんでもなく深く大きい。


※新しいホームページで情報更新中!!

投稿者 furukawa_yasushi : 2006年05月15日 10:10