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2006年06月05日

「ブロークン・フラワーズ」---ジム・ジャームッシュ

[映画・ドラマ・舞台--movie/play ]

自由学園の前にはきれいなバラの花が咲いていました。
ピンクのバラ。
ビル・マーレイ演じるところのドンは
ピンクの花束を抱えて旅をします。

昔は、そりゃあモテモテだったんだろうけれど、
いまでは、ただのスケベおじさんになっているドンが
一通の手紙をきっかけとして、過去の女性を訪ねて歩くというストーリー。
だけれど、この映画はストーリーを追いかけて楽しむ映画じゃあない。
言うなれば、ディティールの楽しさ、そして、そのよろこび、そういう映画。

手紙で明かされる息子の存在も、物語の地場を形成するためのものでしかない。
4人の女性も、訪ねて歩くに従って、どんどん悲惨なことになっていって
僕らはどんどん目を伏せたくなる。
ストーリーの展開からすれば「もういいよ」と、さじを投げ出したくなるような感じ。

つまり、ストーリーテリングによらない、ということ。

もちろん、映画では、手紙を出したのが誰かも、息子がいるのが事実かどうかもついぞ明かされない。
でも、ひょっとして自分の息子がいるかもという、そういう主人公のドンの気持ちが
気の利いた台詞回しなんて一切なしで
見ているこちらは痛いほどわかっちゃうのが、この映画のすごいところだろう。
そして、僕らは、ディティールの楽しさに引き込まれながら、
いつしかドンになり、この映画の最後まで導かれる。

ジャームッシュはインタビュー
物語によらない映画ということをいっている。
ディティールから組み立てる映画。
登場人物のキャラクターや細かなエピソードを作り込んでゆくと
自動的にそれはあるべきところにおさまる、というのがジムの映画作法のようだ。

物語の構造というものは確かにあるのだろうけれど
構造ばかりに目がゆくと肝心なものがこぼれ落ちてしまう。

ジャームッシュが見つめているのは、ほんとにささいなこと。
それは、いわゆるハリウッド的な「映画」から、一番遠いところにあるもの。

物語を組み立てる時に
何のために物語を組み立てているのか、それを忘れないということ。

ジャームッシュの映画に感じる「ヒューマン」というのは、
そこのところにあるのだ。

くすくすと笑いながらスクリーンに引き込まれた僕は
ジムの優しい眼差しに魅了されていることに気がつく。

ハリウッド的なものを期待してしまう人には不向きな
とても楽しい一本の映画でした。

ブロークン・フラワーズ公式HP

BROKEN FLOWERS ブロークン・フラワーズ(ツボヤキ日記★TSUBOYAKI DIARY)


※新しいホームページで情報更新中!!

投稿者 furukawa_yasushi : 2006年06月05日 13:20

コメント

やはりfuRuさんもピンクの花画像ですか

実はジム・ジャームッシュ映画はこれが初でした
映画公開前日ラジオから流れるサウンドに引かれ劇場へ向かいました

「今」というシーン
それを大切にしていく  

トラックバックさせていただきます

投稿者 kubo : 2006年06月06日 07:34

kuboさん
 この映画は、ピンク!
過去に縛られることなく今を生きるというメッセージは
ジャームッシュの場合、何のてらいもなく、こちらに伝わってきますよね。
人が出るんでしょうねえ。
建築も設計する人が出るかもしれませんね。
精進、精進。

投稿者 fuRu : 2006年06月06日 10:40

ビル・マーレー、年とりましたね・・
中年から初老に差しかかっている戸惑いみたいなものがいい感じでした
ピンクというと使い方によっては、ちょいとオゲレツなイメージも・・・だったんですが、さすがのピンク使い!!
早くヴェンダースの「アメリカ、家族のいる風景」と比べてみたい〜〜〜

投稿者 winos : 2006年06月12日 11:43

winos同志 どうもどうも
ビル・マーレーは「ゴーストバスターズ」が圧倒的ですけれど
個人的には印象はあまり変わっていない・・・・、不思議だ。
1984年ですからね。20年以上前なんだ、と感慨深げ。
ともかく、空港できれいな足のお姉さんに釘付けというのが、個人的には◎。
ヴェンダースはどうだろう、ちょっとよくわかんないです。
それ、みたことないし。すみません。m(_ _)m

投稿者 fuRu : 2006年06月12日 11:50