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2006年07月25日

ワーキング・プア

[報道・TV--topics ]

日曜日のNHKスペシャルで、ワーキング・プアを取り上げていました。
ワーキング・プアとは、働く意志もあり、働いているのに
生活保護の水準より低い所得しか得ることの出来ない人々のことです。
このワーキング・プアの世帯が450万あるそうです。
およそ、10世帯に1世帯が、そうした過酷な状況におかれている事実に驚くばかりです。

番組では、ワーキング・プアの世帯を大きくいくつかの傾向に分けて紹介していました。

一番印象に残ったのは、都会で増えている「住所不定無職」の若者たち。
今や正社員は狭き門。大卒、高卒でもなかなか定職に就けない現実から
アルバイトを転々としているうちに、ますます定職に就くことが困難になり
ついには路上生活を余儀なくされている人がいるのです。

アルバイトでは、特定の技術の取得は難しいでしょうし
アルバイトには、アルバイトなりの仕事しか任せられないということもあります。
本来、働くと言うことは、働きながらある種の技術を取得してゆき
より高度の仕事が出来るように自分に磨きをかげてゆく、
つまりは自分の価値を高めてゆくものだと思うのですが、
彼らにはそのチャンスが与えられていないのです。
社会が労働者のスキルアップに投資することによって
日本という国の労働力の質はとても高いものになったと思うのですが
このままでは、労働力の質の低下も避けられないと思います。

一方、家族でイチゴを育てている農家の話も出てきました。
こちらは、イチゴを育てるスキルもちゃんとあるのに
生きてゆけないということになってしまっています。

流通や、消費構造の変化に対応できないと生き残れない。

曲がったキュウリが自然だといって売れれば、キュウリにギブスを付けてわざと曲がったものにしようとする。
そんな、消費構造に振り回されているのは、真面目に農業をはぐくんでいる農家の方々です。
その消費構造を振り回しているのは、人間の欲望なのでしょう。人間は欲望する存在なのかもしれませんが、肥大する欲望には、社会を豪快に動かすパワーとともに、すべてを破壊し尽くすような負のパワーを持っているのではないかと思いました。

たとえば、肥大した欲望は、物作りを根底から破壊するように思えます。
その結果、今のこの国では、ものを作ったり、育てたりすることが
あまりにもないがしろにされているのではないかと思います。

マネーゲームで、巨大な資本を動かすことも国の力だと言えるのかもしれませんが
何か、そこには、決定的なものがかけていると思います。
それは、ものを作るという思想です。
このままでは、日本という国の労働の質が変化して
日本ではものが作れないということにもなりかねないのではないか、そんなことも頭をよぎります。
そして、この問題は、日本の国力に関わるような大切なことだと思うのです。

この問題は、私が関わる建築でも、特に住宅を支えている街場の工務店においても深い影を落としています。

物作りに関わる人が、あまりにも報われない世の中になってしまっているからなのです。

そして、今までは、スキルさえちゃんとあれば、それなりの保障されていた社会的な立場が
少しずつ崩れようとしています。
その不安の大きさははかりしれません。

いま、社会にとって本当に必要なスキル、技術とはなにか?
そういうことまで深く考えさせられた番組でした。

NHKスペシャル
「ワーキングプア〜働いても働いても豊かになれない〜」
ワーキングプア
〜働いても働いても豊かになれない〜

<この記事は「アトリエフルカワ通信 Vol.169に書いたものを、若干の修正を加えて掲載しています。>


※新しいホームページで情報更新中!!

投稿者 furukawa_yasushi : 2006年07月25日 09:55

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突然のトラックバック失礼します。よろしければワーキングプアについて情報交換しませんか? [続きを読む]

トラックバック時刻: 2006年10月03日 12:48

» 派遣を1年以上継続すると from 大津留公彦のブログ2
共産党の市田書記局長の国会でのワーキングプアに関する質問が評判になっている。 共 [続きを読む]

トラックバック時刻: 2006年10月15日 03:21

コメント

私もNHKの放送を見ていました。

結局、これが、プレスリーを演ずる恥ずかしい小泉の五年間が残したものなのでしょう。
改革、改革とだまされ小泉の人気を支え続けた民に残されたのは、ワーキングプアーなる底辺の世界だったのです。
その対局にある、日銀総裁のインサイダー取引に象徴される政官財の世界、それは改革によって保護され安泰そのものなのです。その世界、上から下々に至るまで、その権益は保護され、その腐敗の数々は時折かいま見ることができます。

まやかしの改革の五年間は、これから、我々になにをもたらすのか、想像するだに恐ろしいことです。

投稿者 AKi : 2006年07月25日 18:44

AKiさま こんにちは
小泉さんがこのような状況を望んだとは僕には思えませんが
結果としてはその通りかもしれません。
それも、
強きものは、弱きものが斯様にも弱きことを知ろうともせず、
弱きものは、強きものが斯様にも強きことを知るよしもなかった故のことのような気がします。
格差を付ける場合に
弱きもの立場をおとしめて、相対的に自分たちの立場があがったように見せかけるような
そういう社会にだけはなって欲しくないと思います。

投稿者 fuRu : 2006年07月25日 21:55

fuRu さま   Akiさま  お久しぶりです。
こちらのブログと、もうひとつのブログに教えていただき、
この番組を見ました。 見て良かったです。
小泉さんは、さっそうとして、堂々として、古いしがらみを壊し、目的を実現する力が
あったのかもしれませんが、その力を「大多数のふつうの国民のために使ってくれるだろう」と
国民が思い込んでしまったのが、悲劇の始まりだったのだなあ、と感じます。

学校での子どもたちの間では、fuRuさんが書かれたような、
「弱きもの立場をおとしめて、相対的に自分たちの立場があがったように見せかけるような
そういう社会」が急速に広がっているようです。殺伐としているそうです。

投稿者 mj : 2006年07月27日 00:54

mjさま こちらこそご無沙汰しております。
コメントありがとうございます。
ワーキング・プアの問題は、連鎖してゆくというのがこの番組が我々に向けた大切なメッセージのひとつでした。
僕はそれについては自分で書いた記事ではふれていません。
番組で紹介されていたのは、家庭崩壊や突然のリストラで親の扶養が期待できなくなってしまった子供達です。
学歴が大切だとは思いませんが、何かを学びたいと思ったときには、生活にある程度のゆとりが必要なのは事実です。最低限の生活でも、時間的な余裕があれば次のステップに向けて何かをやり遂げることが出来るわけです。しかし、それ以下の生活になってしまうと、生活に必要な分を稼ぐだけで時間的な余裕もなくなってしまう。
どうして、これだけ豊かだと言われている日本で、そうした厳しい現実の中で生きなくてはならない世帯がこれほどまであるのか。本当に大変な問題です。
mjさんがご自身のブログで紹介されている、授業妨害の児童も、本来ならば社会が夢や希望を与えることが出来れば救ってあげることが出来るのではないか、と、そんなことさえ考えてしまいました。

投稿者 fuRu : 2006年07月27日 11:14

fuRuさま
「授業妨害の児童も、本来ならば社会が夢や希望を与えることが出来れば救ってあげることが出来るのではないか、と、そんなことさえ考えてしまいました。」
そうお感じになるのは、とても自然な事ではないでしょうか。公教育は、ある意味この為に存在するはずですよね。でもその自然な、人としてのまっとうな感覚で教育改革が行われていないことに危機感を感じます。

投稿者 mj : 2006年07月27日 23:37

mjさま
>人としてのまっとうな感覚で教育改革が行われていない
恐ろしいことですね。
人と言うよりも、労働機械、いくら稼げるか、という価値観しかなくなってゆくとすれば
それは、心の枯渇でしかありませんよね。

投稿者 fuRu : 2006年07月29日 16:51