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2006年08月23日

若冲・プライス・日本の空間

[アート--art ]

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やっと時間がとれたので昨日ですが、
上野の国立博物館で行われている
プライスコレクション 若冲と江戸絵画展」に、行ってきました。
9時半の開館とほぼ同時、朝一番を狙って出かけたのですが
なんと言うことでしょう、すでに大混雑。
平日の午前中なのに、ゆっくり見るなんて思惑は吹っ飛んでしまいました。
この分ですと、今週末の最終日は入場制限がでるかもしれませんね。

さて、若冲の肉筆は素晴らしいの一言です。
その闊達な筆裁きには見るものの心をぐいと掴むものがありますね。
この展覧会も、一度ならず、二度三度と足を運ばれた方も多いと聞くのも、納得です。

展覧会では、同時代のほかの画家たちの作品も並べられており
若冲の作風を「エキセントリック」と言う言葉で対称化しています。
実際に、だれの目で見ても若冲の作風は抜きんでています。
ほんと、しびれちゃいますね。

この違いというか価値に目をとめたのが日本人ではなくて外国人だったということに考えさせられます。

プライス氏が、こうして若冲の作品を集めていなかったら
彼の作品のほとんどはどこかに消失してしまっていたに違いないわけで、
さらには我々の目に届くこともなかっただろうと思うと
異国からの視線が、自国の文化を守っているのだ、(逆もあるけれど)
と、そういう史実に気がつきます。

シルクロードの文物も、各国の探検隊が持ち帰ったから
盗賊たちの餌食にされなかったということもあるわけですから
文化というものが生き残ると言うことには、
やはり昔から、ワールドワイドなつながりなしには考えられないということなのかなと思いました。


ところで、今回の展示で一番興味深かったのは
最後の展示室です。
そこでは、作品を照らす照明が
明るくなったり暗くなったり、あるいは、斜めになったり角度を変えていました。

そこで、僕の目の前で暗くなりながら俄然存在感をまして現れてきた金箔の、
その明かりとしての存在感に、僕は胸を締め付けられるような思いに駆られてました。

祖父の家で、夏休みの夕暮れに、襖の金箔がぼんやりと輝きだした時間を思い出していたのです。

図録の中で、プライス氏の自邸での明かりの取り方について紹介されています。
今回の展示では、照明をどうするかが一つの課題だったことがよくわかります。

そこでもふれられていますが、
西洋の建物が壁によって出来ていて、
日本の建築物は柱によって出来ています。
西洋絵画は、その壁に描かれる壁画として、あるいは、その壁をくりぬいた窓から見える風景の模造品として発展していったと言えるのに対して、日本の絵画は、床の間に飾る掛け軸というものもありますが、建築の一部である襖に直接描かれたもの、あるいは、2曲、3曲の屏風のような、家具的な(調度品的な)、機能としては目隠し、に描かれたものとして、生活空間を包む要素の一つとして存在しているわけです。
つまり、生活空間とは、昼も夜も、日の出も日没もある空間です。そこは、自然光の変化に対して敏感な空間であり、そこに置かれる絵画も自然光の変化に敏感な、逆に言うと自然光の変化そのものを取り込んでその魅力となすような絵画として研ぎ澄まされていったわけです。
それゆえ、西洋の絵画が、一つの作品として、美術館の展示室に展示されるようになったという流れが、そのまま日本の絵画に適用されてしまったことによって、日本の絵画が持っている魅力が損なわれた、それこそ手足をもいでしまった状態となって、我々の目の前に置かれることになってしまったのですね。

ここには、日本と西洋の、時間と空間に対する指向性の違いが端的に表れていると思いました。

そして、これは、杉本博司が、長時間露光という手段で、写真が持ってしまっている、ある時間を切り取って見せるという、その限定された世界を否定していること(それがあまりにも当たり前のように強くこの世界に影響を与えているゆえに)に通じていると思います。

それにしても、こういう、アメリカ在住の杉本氏、ましてやアメリカ人のプライス氏などの、外からの視点で、日本という国のありよう、あるいはその価値を浮き彫りにされているということは、自国に閉じこもるナショナリズムの無力さを証言しているのかもしれません。

<蛇足-1>
博物館の敷地の一角、仮設の劇場「一角座」で
映画「もんしぇん」の一般公開が始まっています。
このブログの右上にもバナーを張ってみました。
せっかく、上野の博物館に行くのですから
若冲を見た後に、行ってみようと思っていたのですが
この日は、久しぶりの国立博物館でしたので、本館もアジア館もくまなく見てしまいました。
さらには、いまだ未見だった谷口吉生さんが設計された「法隆寺宝物館」を堪能していたりしたら
軽く3時間以上も経ってしまい、足は棒のよう、おなかはグー、で、今回は断念しました。

<蛇足-2>
さて、その法隆寺宝物殿ですが
それは、また別の記事で。


※新しいホームページで情報更新中!!

投稿者 furukawa_yasushi : 2006年08月23日 11:30

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