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2006年09月07日

It's a boy!

[いろいろ--misc. ,音楽--music ]

昨日の外電の見出し「It's a boy!」を見て
最初に思い浮かべたのが、The Whoの「Tommy」に収録されている曲(It's a boy→ITMS)だった。

「Tommy」は、1969年に発表された、LPレコードで二枚組の、ロックオペラと称される、The Whoの代表作だ。
Tommy少年は、あることがきっかけで、耳が聞こえず、口もきけず、目も見えない三重苦の少年となるが、ピンボールの才能が開花、一躍若者の教祖的存在となる。しかし、そんな自分の姿がまがい物であることを知り、本当の高みを目指そうとする。

このレコード、全英、全米とも若者の支持を受け、
1975年、ケン・ラッセルによって映画化されることになる。

この映画を、ちょっと前になるけれども
深夜枠で放映されていたので久しぶりに見た。

というわけでこの映画、
クラプトンやエルトン・ジョンなどが出てくる、楽しい映画なのであるが
ラストシーンにだけは、大きな違和感を感じてしまった。
それは、たぶん、映像の中で使われている象徴的なイメージ(イコン)のためだと思う。
僕は、このラストシーンに、この映画が、ケン・ラッセルが、いやいや、大げさなようだけれども、この映画の世界を支えている欧米文化というものをどうしても理解できない最後の溝みたいなもの、切り立った崖のようなもの、高い高い壁のようなものを、感じてしまったのだ。

歌舞伎の演目に「熊谷陣屋」というのがある。江戸時代から現代まで延々と演じられている人気演目である。
10月の歌舞伎座でも演じられる。
話は、主人公、熊谷直実が、天皇家の血筋を引く子供の命を守るために、我が子を身代わりに殺してしまうというもの。直実は我が子を手にかけたあと、出家して旅に出てしまうのであるが、花道の幕切れで「一期一会」というセリフが見せ場にもなっている。
僕はここで、演劇論を言いたいわけでもなんでもなくて、この物語を支えている「天皇家の血筋を守る」という、社会が抱え込んでいる使命感、社会背景のことを考えているのだ。そして、その物語は今でも語り続けられているということ。そこには、何らかの心情的な真実が存在するはずだ。

ふと、僕は、熊谷の物語が象徴するような、心情的な真実について、外国の人は理解してくれるものだろうかと考えた。ケン・ラッセルの映画に僕が感じた、絶対的な距離感を、きっと外国の人は、この熊谷の物語に感じるに違いないと思った。

文化というのは、お互いに違うわけである。
だから、世界中の人々と分かり合える、なんて言う前に
わからないことだってあるんだよ、と言うことの方が正直なのだと思う。
ようは、わからないところをお互いにどうやって認めてゆくのか、ということなのだ。
そのためには、わからないことを徹底的に探求することが大切だ。
徹底的な探求なくしては、本当のわからない部分はきっと見えてこないだろうからだ。


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投稿者 furukawa_yasushi : 2006年09月07日 11:15

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コメント

日本と外国、だけでなくて、人間同士(特に夫婦)にもあてはまりますね。

わからないところをお互いにどうやって認めてゆくのか。
認められないところを、どうやって許しあっていくのか。
許せないところは・・・許せる範囲内か???

投稿者 コメイノチ : 2006年09月08日 01:58

日本人同士ならば、言葉が通じますから
それほど悲観することはないと思いますよ。
わからないものはわからない、と思っちゃった方が気が楽かもね。
無責任なようですが、ほとんどわからないけれども、わかるところもある、っていうくらいが、普通の人間関係ではないかと。

投稿者 fuRu : 2006年09月08日 09:29