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2006年11月07日

「「間取り」の世界地図」---服部岑生

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「「間取り」の世界地図」
著:服部岑生 青春出版社青春新書
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タイトルが大げさで読んでがっかり、という新書が少なくない。
この本も、「世界地図」とうたっているものの、それはまあ大風呂敷。
期待してはいけない。
けれども、日本人の「南面信仰」についてふれている下りが面白かったので
書き留めておこうと思う。

日本人ほど、南向きかどうかにこだわる国民はほかに見当たらないほどで、まさに日本人の「南面信仰」といってもいいほどなのだ。(P-107)

しかし、武家の住宅(江戸時代)などをみてみると

武士住宅の特徴として、表を通り側にむけていた。南向き北向きとは関係なく、主たる座敷は通り側にむけていた。おおむね通り側を重視するという価値観があったようだ。(P-55)

たしかに、歴史的街並みと称される古い街道沿いの家々を見ても
表通りを中心にプランニングされている。
通り側が北だからといって、通り側に背を向けて水回りを配置していた家はなかった。

では、いつごろから、日本に「南面信仰」が根付いたのだろうか。

服部は、西洋医学が日本に導入され、日照と病気に関する知識が根付いたことが大きいと指摘する。

そして、

健康の維持に日照が大切だとわかたのは明治期の中ごろからで、それ以降は日照を考慮して全国の学校が南向きの校舎をつくるようになった。それまでは学校の校舎も南向きではなかったのだ。(P-109)

実質的には、人が家の中にこもっている時間というものは、かってはそれほど長くなかったに違いない。だから、家の中に日が差そうが差すまいが、人の生活にあまり関係がなかった。
でも、子供たちは学校に通うようになり、建物のかなに閉じこめられる時間が増えると、こうしたことが問題として表面化するようになったのだろうことは、想像に難くない。
そして、表面化した問題が住まいにまで影響を及ぼすのはもはや時間の問題だったのである。

というわけで、これほど南側にこだわるようになったのは明治の終わりに近くなってからのことだと思われる。

そして、これは私の意見であるが、その過度に助長された「南面信仰」によって、歴史的街並みが持っていた美しい表情が日本の街並みから奪われたのではなかろうか。

我々は、今、天窓、ハイサイドライト、吹き抜けなどの設計の手法でもって、いかなる条件下でも自然光を室内に取り込むことが出来る。であれば、過度な南面信仰からは少しは離れて家の間取りを考えることが可能だと思う。その時に、家は再び町との関係を取り戻すことが出来るようになるのではないだろうか。


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投稿者 furukawa_yasushi : 2006年11月07日 09:35

コメント

>私の意見であるが、その過度に助長された「南面信仰」によって、歴史的街並みが持っていた美しい表情が日本の街並みから奪われたのではなかろうか。

その通りだと思います。
農家がサラリーマン化した子供の代になってから住宅メーカーで建替えると、街並を無視して、決まって方位に忠実に建物を配置しますね。

投稿者 iGa : 2006年11月08日 10:27

iGaさん
まさに、言葉通りの「マイホーム主義」が
「南面信仰」に深く結びついてしまった、ということでしょうか。
確かに、狭小地で、隣家とのプライバシーも保ちにくい現況からすると
どうしても家は閉じて行く方向に向かいがちです。
それでも、
一軒一軒の家が、外に対して背を向けるだけでなく、どこかでつながってゆこうという意識が
僕なんかも大切だと思っています。

投稿者 fuRu : 2006年11月08日 15:26