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2006年12月19日

「憲法九条を世界遺産に」---太田光、中沢新一

[books ]

「憲法九条を世界遺産に」
著:太田光、中沢新一 集英社新書0353
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憲法九条を含む日本国憲法は、たしかに尋常でないつくりをしている。

本書の後書きにあたるところで、中沢新一が切り出すこの言葉が本書の底辺である。
「尋常ではない」とは、たとえば、国家を生命体とすると、日本国憲法は免疫機構にたとえられる武力行使を放棄してしまっているからだ。しかし、だから、日本国憲法はダメであるというのではない。生命体においても母体は子を我が身に宿すときに一時的に免疫機構の一部を解除している。または神話世界では、異物である他の動物たちとのコミュニケーションを可能とする世界を、思考と想像力によってつくりだし、異物との境界を乗り越え、そして異物を取り込んできた。

つまり、憲法九条に謳われた思想は、現実においては女性の生む能力が示す生命の「思想」と、表現においては近代的思考に先立つ神話熨斗呼応に表明されてきた深エコロジー的な「思想」と、同じ構造でできあがっていることになる。

こうした中沢の積極的な意味づけを支えるのが、本書のなかでの太田光との対談である。

尋常でないつくりをしている、世にも珍しい珍品、であるゆえに「世界遺産」にするというコピーライトが生まれる。でも、ちょっと茶化したような「世界遺産」という言葉を超えて、ここでは様々なことが思いもよらない角度から話し合われていて、そこがとても面白かった。この本は単なる平和への訴えというようなものではない。とても奥が深い。

たとえば、冒頭の議論には宮沢賢治が出てくる。宮沢賢治が田中智学らの思想に感銘を受けたという事実をしっかりと見つめ直すことの大切さが取り上げられる。そこから「戦争」と「平和」という対立を「愛」と「憎」という不可解な対立の上で考えなくてはいけなことがでてくる。

そこから発展するように、人間は、愛情への恐れから貨幣を造り出したという中沢の発言も面白い。

また、憲法をいっしょに作ったアメリカは、自国での先住民族への弾圧を無意識の心の痛みとして抱え込んでいたため、こうした理想主義の憲法が出来たのではないかという展開も興味深い。

先日、テレビで「ラスト・サムライ」を見たが、あの映画にはそれを作ったアメリカという国が抱え込んでしまっている心の痛みが強く表現されていると思った。

コメディアン太田光は、ここのところ様々な発言をして話題を呼んでいる。
テレビ番組「太田光の私が総理大臣になったら・・・秘書田中」を時々見ているが、その議論には大いに共感したり大いに疑問に思ったりと大変刺激的だ。ただ、そうした過激な発言はコメディアンだからこそ生きてくるのかもしれない。そこに、今の日本の大きな問題があるのかもしれない。

『憲法九条を世界遺産に』(komachi memo2)


※新しいホームページで情報更新中!!

投稿者 furukawa_yasushi : 2006年12月19日 09:22

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コメント

ご無沙汰してます。以前ビル・エバンズにコメントしていただきました。この本の醍醐味はまさに様々な視点で書かれていることで、自分自身いつのまにかプロトタイプな議論に身を投じていたなということを教わりました。このような議論がより活性化するといいですね。一方で加藤氏の自宅放火みたいなことがまかりとおる世の中ですから。

投稿者 hyuma : 2007年01月02日 11:05

hyumaさま
ごぶさたしております。
ほんと、コメントに書いてくださっておられるように
様々なご都合主義を越えて、正しいとか正しくないというような議論も越えた土俵の大切さをこの本は描いてくれていると思います。どういう未来でありたいか、という根本的な問いかけを失ってしまっては、この議論は不毛の未来しか招かないのだと言うことが大切なんですよね。

投稿者 fuRu : 2007年01月02日 21:20