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2007年02月01日

「第四の手」---ジョン・アービング

[books ]

「第四の手」
著:ジョン・アービング 訳:小川 高義
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ライオンに食いちぎられた左手。
高度な外科手術で移植された左手。
中間部での日本を舞台としたどたばたと
移植された左手に絡むオカルティックな展開。
物語は展開し、展開し、展開し、湖面に着水する。
「小説は長ければ長い方が良い」という著者にしては短い話だが、短いだけに展開し続けてゆくテンポの面白さと、着水するときのゆったりとしたイメージが余韻として心に深く刻まれる。
ジャンルわけするとすれば、まさに純愛小説ということになるだろう。
確かなる愛の小説。
愛は湖面にゆったりと着水する。

<以下、小説の内容にふれます。>

テレビ局のニュースキャスターとしての主人公が
手を失い、そして手をもらい、再び失うという過程のなかで
次第に変わってゆく姿がこの小説の中心にある。

主人公はテレビの生放送の最中にライオンに左手を食いちぎられ
「ライオン男」として知れ渡るようになる。
テレビを通した有名人になるわけだ。
そこには、本人は不在でありながら、イメージとして増幅され固定される。
テレビという増幅装置。
主人公は、その増幅された幻影を振り払おうと、左手の移植を決断する。

左手の提供者の奥さんは、最愛の左手の最初の持ち主とは子宝に恵まれなかったため、2番目の持ち主との子供を望む。左手は移植され、手術は無事成功したかに思えた。そして、その女性は移植後の左手との面会の権利を主張し、女性とそのおなかの子供とは定期的に左手との面会をする。面会を繰り返すあいだ、左手の記憶が2番目の持ち主である主人公のニュースキャスターに忍び寄る。が、しばらくすると拒絶反応が起きて移植した左手は緑色に変色し、やむなく除去されることになる。

手は再び失われるが、失われた手、不在の手が確固たる愛の存在を確かなものとし、
主人公は、不在の存在としてたち振る舞うテレビの世界から足を洗うことを決意する。

それにしても、とても不思議な小説だ。
こうして、自分になりまとめてみても、何が何だかよく分からない。
しかし、自分の中にはこの小説から受け取った確かなイメージが刻まれている。
そのイメージとは、アービングが語る「確かな愛のかたち」なのだと思う。

ただの恋愛小説ではない、確かなる愛の小説である。


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投稿者 furukawa_yasushi : 2007年02月01日 09:50

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コメント

深そうな話ですね・・・
それにfuRuさんの説明を読めばとても面白そうなのがわかりますし、読んでみようかなという気持ちを強く持ちました。

投稿者 Amehare : 2007年02月01日 21:39

Amehareさま
たぶん、気に入っていただけると思います。
テレビというものからの脱却というイメージと
いろいろなイメージが重ねられている。
そういう、アービングの手腕にも
すごいなあ、と素直に感じました。

投稿者 fuRu : 2007年02月01日 23:17