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2007年07月24日

A---森達也

[報道・TV--topics ]

A
監督:森達也
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住宅の射程」の中で磯崎新さんが紹介しているドキュメンタリー。
「A」とは信者A。オウム真理教(現アーレフ)広報担当の荒木浩氏の頭文字です。
この映画は森達也氏がフリーの立場で撮ったドキュメンタリー。
1996年。
地下鉄サリン事件の首謀者の公判が始まる。
教団の施設は次々と立ち退きをせまられる。
そんな中、信者の生活をカメラはとらえる。

磯崎氏がこのドキュメンタリーを紹介しながら
人と人とのつながりが、現代社会でいかに変質してきているかを
この映画を通して見ることが出来ると言っています。

映画の趣旨は、オウム報道に関するマスコミ側の信じられないような偏見と暴力を描こうとしているんですが、それ以上にそこで生活する人々の姿が印象的だという事なんですね。
具体的に言えば、家族という縛り、社会という縛りからのがれてオウムという集団で共同生活をする人々の姿をこの映画はとらえています。
彼らは集まって生活しているわけですから、集団生活を否定しているわけではない。
いわゆる、家族とはこうあるべきもの、社会人とはこうあるべきもの、という縛りに大きな違和感を感じて、家族や社会に納まる事が出来なくて飛び出してしまった(はみ出してしまった)のだと理解出来る。ここでは、すでに、今までの家族や社会という枠組みが機能しなくなっているわけです。
彼らを異端として排除してしまうのは簡単だけれども、そうではなくて、機能しなくなっている家族や社会というものをもう一度考え直す必要があるのではないか。そこで、家族とは何か?という問題が我々に突きつけられるわけです。

この映画とその続編の「A2」を見終えた後に、オウムの信者さんの意外なほど普通な姿(近所のおじさんたちと仲よくなっていたりします)にある種の可能性を感じながら、なぜ彼らが現代の家族や社会という枠組みから遁れたいと切実に思い詰めたのかを考えてしまいました。


※新しいホームページで情報更新中!!

投稿者 furukawa_yasushi : 2007年07月24日 11:45

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