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2007年09月08日

ル・コルビュジェ展

[アート--art ,建築--architecture ]

070901-corbusier.jpg

もう一週間も前、先週の土曜日になりますが、森美術館で開催中の
ル・コルビュジエ展:建築とアート、その創造の軌跡」に行ってきました。

あまり期待しないで出かけたのですが
いくつかの発見があり私としては大変刺激的な展覧会だったと思います。

発見の一つは
コルビュジェの絵画です。
私としては、いままであまりぴんとこなかったのですね。
それが、今回の展示で多くの絵画作品の実物に触れる事が出来て
コルビュジェの絵画って、結構良いなあ、なんて思ったのですね。
なんといっても印刷ではわからなかったマチエールがよくわかったのがとても良かったと思います。

もう一つの発見は、まだうまく言葉に出来ないのですが
初期の住宅の模型を見ていた時に
コルビュジェの仕事に「映画」を感じたんですね。
これはちょっと、私としては目から鱗といいますか青天の霹靂といいますかかなりのショックでした。(ちょっと大げさですね)

最近、私は「映画」の発見が人間に与えた影響は想像を張るかに越えたものだった、なんて言うことを考えているのですが、その根拠の第一点は、「映画」が空間を相対化したということです。
それはどういう事かといえば、「映画」以前は視覚的な情報は必ず身体の運動と切っても切れない関係を持っていたわけです。それが「映画」の誕生で視覚情報が肉体的な縛りから開放されて客観的な対象となったということです。
J.J.ギブソンの移動視による空間認知というような切り口も「映画」があってこそのものではないか、なんて大胆な事も考えています。

コルビュジェが「映画」を強く意識していただろうことは
残されたフィルムが物語っているでしょう。
それらのフィルムを彼一流のプロパガンダとして見るのと同時に
彼の生きた時代でこれだけ「映画」に自らの姿を記録させた人もいないのでは、と思います。

というわけで、コルビュジェと「映画」なんですが
展示されていた住宅の模型が実に良く出来た模型が多くて
ついつい見入ってしまっていた時に
シークエンスを設計に意識的に取り入れ、それを編集する強い力を感じたんです。
また、夢でも見ていたんじゃないの、なんて言われますと元も子もないわけですが
コルビュジェの作品の解説でよく使われるのがシークエンス。
モチーフとしてよく登場するスロープも
そこを歩きながら空間の見え方が変化するその変化をデザインしているというようなこと。
ですから、空間の中で移動しながら見るということが大切であるのはコルビュジェの作品を語る上では語り尽くされているような感じもあります。
しかし、私が今回感じたのは、それをもう一つ飛び越えて、シークエンスとシークエンスのつながりが強く意識されているという事でした。
つまりそれは、「映画」でいう「モンタージュ」ということです。
ですから、冗談ではなくて、コルビュジェの模型を見ながら私の頭の中ではエイゼンシュタインのフィルムが強烈にフィードバックしていたわけなんです。

そうして見たときのサヴォア邸のいかに「映画的」なことか。

映画の歴史は1895年にリュミエール兄弟がパリで開催された科学振興会で自ら撮ったフィルムを上映したことから始まるとすれば、1987年生まれのコルビュジェは映画の誕生と同時代を生きた人であるわけです。映画の創世記に遭遇したコルビュジェ少年の目に「映画」がいかに驚くべきものとして映ったかは想像に難くないでしょう。

それにしても、このような妄想的論考(「ひらめき」とも言います<(^^;)>)をどうしたものかと考えあぐねてしまいます。
今しばらく、コルビュジェの作品を眺めて、まずは言語化してみるという作業がコルビュジェと「映画」とのつながりを、よりはっきりしたものと出来るような気もします。
しかし、そんなことをやっているうちに、コルビュジェと「映画」に感じたつながりなんて忘れてしまうかもしれない。まあ、その時はその時。
ただ、「映画」が空間を相対化したということ、近代は空間の相対化によって成立したというひらめき、つまりは「映画」と近代は強く関係しているというひらめきだけは忘れないようにしましょう。

参照
映画史『ウィキペディア(Wikipedia)』
ル・コルビュジエ『ウィキペディア(Wikipedia)』

<蛇足-1>
1882年生まれのイーゴリ・ストラヴィンスキー(作曲家)もコルビュジェと同時代の人です。
ストラヴィンスキーの音楽はよくコルビュジェの作品を紹介する映像に使われます。
ストラヴィンスキーの音楽も近代と空間について考える時に有効ではないかと感じています。
イーゴリ・ストラヴィンスキー『ウィキペディア(Wikipedia)』

<蛇足-2>
デ・コンストラクションのデザインとゴダールの映画をつなげて考えてみる事。

<蛇足-3>
コルビュジェと映画を結びつけて語っていた人が以前にもいたような覚えがあるのですが、誰だったのか思い出せません。


※新しいホームページで情報更新中!!

投稿者 furukawa_yasushi : 2007年09月08日 22:40

コメント

ふかい、ですね...。

投稿者 たかさん : 2007年09月08日 23:54

たかさんさま
深いと言うよりもとっても浅くてすごく表面的な見方をしていかないとこういう考えにはいたらないのではとも思います。

投稿者 fuRu : 2007年09月09日 20:49

ミュージアムショップでお土産品のパラパラ漫画を買いました。
イームズの展覧会にもありましたが、パラパラ漫画は最近の展覧会の定番アイテムのようですね。
手に入れた二つが「サヴォア邸」の内部空間のCGをパラパラで作ったものでした。この玩具は、fuRu さんの「映画的」なる論旨を補強するお道具のような気がします。パラパラはまさしく映画の原理なのですから。

投稿者 AKi : 2007年09月10日 04:55

AKi さま
パラパラ漫画がグッズで売られているのは見ていました。
ずいぶん売店のところで悩んだのですが結局買いませんでした。ちょっと後悔。
ともかく、コルビュジェが初期の住宅の仕事でシークエンスの変化を強く意識していただろうことは確かで、その発想の原点が「映画」により相対化された空間の発見にあるんだと思うんですよね。

投稿者 fuRu : 2007年09月10日 08:29