« 「生物と無生物のあいだ」---福岡伸一 | メイン | 建築家 本間至さんのお仕事にふれる »

2008年06月18日

「家をつくる」という自由

[a-家づくりについて---house_making ]

現在、家づくりの相談を受けている方からいただいたメールに
次のような言葉があってびっくりしてしまいました。

「大手銀行はどこも建て売りとマンションのみの融資に切り替えているところで、土地から建築家さんにお願いする形の融資には応じないというのです!」

家が完成してからの一括融資しかダメという話は数年前からでていましたが
事態はさらに変わっていることに愕然とします。

この方は、大手銀行では埒が明かなくて、地方銀行や信用金庫などをまわることになり、そこでも「融資には応じない」という一律の回答で「いったいどうなっているんだ」と思ったそうです。それでも、原則は応じられないけれども相談次第というところもあって、いくつかの金融機関ともう少し話を進めてみられるそうです。

それにしても、お金を借りずに家を手に入れることの出来る人などほとんどいないわけですから、銀行が「建て売り住宅」と「マンション」を買うためにだけ融資するということは、「家をつくる」という選択肢を我々から奪い取ってしまうことになります。これはいったいどういうことなんでしょう。
「家をつくる」という自由が、我々から奪われようとしている。これは大変大きな問題です。

大手銀行の担当者からは「土地からというのはリスクが高いから今みんな軒並みやめているところなのです」という説明があったそうです。

「リスク」

お金を借りるには担保が必要です。ここで言うリスクというのは担保の評価がどれほどかということでしょう。

確かに、「過剰なリスクを負ってまでお金を融通するということはない」というのは理にかなったことだとは思いますが、土地から貸すことのどこに過剰なリスクがあるのか、私などには理解出来ないところでもあります。たしかに、土地に過剰な担保価値を付けて泡のごとくに高利の融資を続けていた時期もありましたし、そのことの極端な反省からなのかもしれませんが、逆に土地に担保価値がまったくなくなってしまうというのも変な話です。

また、冒頭でもふれましたが、家は完成して初めて担保価値として認められる、つまりは登記簿に抵当権を設定出来るわけですから、完成して権利の設定をしないとお金は貸せませんということも、数年前から銀行の方針としてはっきりとでています。
もちろん、これも理解出来ないことではないのですが、それ以前はどうしていたかといえば、工事中に必要な着手金や中間金も、短期で金利が高いという事はあったとしてもつなぎで融資してくれたり、ローンの分割実行もやってくれていたわけです。

でも、それが出来ないとすれば大きな問題が出てきます。工事の着手金と中間金を自己資金でまかなわないといけない、あるいは、工事を請け負ってくれる工務店さんが肩代わりしてくれるか、ということになるからです。どちらが負担するにしても大きな負担です。何千万円ものお金を自己資金で用意されている人はいったいどのくらいいるのでしょうか。完成後の一括支払いでやりくりをこなせる工務店さんがいったいどれくらいいるのでしょうか。

設計者というのがまさにそうなのですが、建築物を機能やコストの問題を解決しながら完成させることが仕事です。これは銀行が担保としてとらえるものを完成させるのが仕事ということですが、逆に言うと、我々が仕事を始める時には担保がないのです。担保的なものがあるとすれば、担保価値のある建物が完成するであろうという信頼感しかありません。作り手である工務店も同じです。実際に完成するまでは、信頼感しかない。そして、この信頼感を前提としていなければ、まだ完成していないものに担保価値を見いだすことは出来ないのです。

今回の銀行の対応は、この信頼感を認めないということなのだと思います。
「家をつくる」という自由が失われるということは、裏を返せば「つくる」ことへの信頼感の喪失を意味しているのかもしれません。

信頼感の喪失。

恐ろしい問題です。


※新しいホームページで情報更新中!!

投稿者 furukawa_yasushi : 2008年06月18日 13:20

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://af-site.sub.jp/cgi/mt/mt-tb.cgi/1601

コメント

これはとんでもなく大きな恐ろしい問題だと思うのですが、一体どう言う理由で その土地を担保にできなくなったのでしょうか?
もともと 担保というのもおかしいのかもしれませんが・・・・・。

こう成ると 大手のマンションしか建たなくなる。
そこにしか住めなくなるし、個人は土地を手放さざるを得なくなる。
小さな工務店などもやって行けない。
街はマンションしか無くなって行く。それも大手の。

お金が どんどん吸い取られて行っています。
同時に 私たちの暮らしまでコントロールされて行っているのを感じます。


先日 こんな事に気づいて愕然としました。
今、株が儲からないと言う事で 銅以外の金属まで投機の対象に成ってしまいました。
私たち零細の工場は 悲鳴を上げています。

そして、ひょっとしたら食品もそうなるのかしら・・・・と恐ろしくなったのです。
冷蔵冷凍の技術が発達してきて 食品の長期保存が可能になって 価格のコントロールがしやすくなっています。
投機とまでは行かなくても 食べ物までもコントロールされて行っている・・・・そう感じて 怖くなったのです。

長々 お邪魔致しました。

投稿者 光代 : 2008年06月19日 06:46

光代さま
コメントありがとうございます。
建築金物を扱われていることはmasaさんからお聞きしておりました。
金のような貴金属以外までも投機の対象になっているんですね。
食料についても「静かな津波」ということで話題になっていましたが
振り回されるのは、我々一般市民ですよね。

今回の件は土地への過剰な投機を抑えるための政策の一環なのかもしれませんが
個人にとってみれば、小さな平和を実現するための小さな投機をやりたいだけなのに、その自由を奪っていることには 憤りさえ感じます。
おカネ、土地の所有権は光代さんが言われているように
個人から大手企業(資本)へと流れること必至でしょう。

大きな資本のもと、一人一人の人間が大切にされない時代がきていると感じます。

日本はいったいどこへ行くのでしょうか。
恐ろしいことですね。

投稿者 fuRu : 2008年06月19日 09:46

こんにちは。お世話になっております。
おかげさまで、結果としては、当たり前のように融資してくれるところに巡りあえました。「土地から建築家さんにお願いすることがなぜ問題なのでしょう?色々新居にはご希望もおありでしょう。」と担当の方に言われ、不覚にも感動してしまいました。

これで我が家はとりあえず一安心なのかもしれません。でも、都銀や大手地銀が土地からの融資をやめてしまうという判断を平気でする国なのだということに改めて気づかされました。

何度も私の目を見てきっぱり「リスクが」と言い切ったあの都銀の担当女性に罪はないのでしょう。でも、彼女はもう何も疑問には感じていないのですよね。それが銀行の教育の成果なのか、日本の教育の成果なのか。

来月以降、都銀に相談に行った人の多くが、自分の意に安易に反して「じゃあやっぱり建て売りにしよう」とするのか、或いは「おかしい」と強く疑問に思う人がぞくぞくと出てきて何かを変えることができるのか……

そう考えると暗い気持ちになりますが、いま唯一の希望は、どうやら一歩、古川さんに建てていただける新居に近づいたようだというところです!ぜひ古川さんにお願いしたいという強い気持ちのおかげで、一つ目の壁を乗り越えられました。

投稿者 金五郎の母 : 2008年06月19日 13:02

金五郎の母 さま
前進されたようでなによりです。
それにしても、大手銀行のその対応には開いた口がふさがりませんね。
しかし、それはとりもなおさず
我が国のひとつの顔の真実の姿なんですよね。
恐ろしいことです。
でも、我々の味方をしてくれるところもあるということに、少しほっとしました。
一方、改革は上から進んでくるわけで、いつ その味方も身を翻すかもしれない。
ほんと、日本という国はいったいどこへ行こうとしているのでしょうか?

でも、金五郎の母さんたちは、はれて偉大な一歩を踏みだすことが出来たわけで、これは本当に良かった。
これから土地探しが始まります。
私の方としては、良い土地が見つかりますことを応援させていただきますね。

投稿者 fuRu : 2008年06月19日 13:46

信用金庫でも、土地の登記面積と確認申請書の面積の誤差とか妙にうるさかったりします。
バブルでぼろも右傾しておきながら負担は消費者にかぶせ
今では、確実に戻ってくるものにしか貸さない
最初からそうしててくれればいいのに、、、
「住まいと」など完成保証を使うしかないようですね

投稿者 (!!)。 : 2008年06月24日 11:09

(!!)。さま
いろいろなことが厳密になってゆくことは面倒くさいことだけれども決して悪いことではない。けれども、この頃の世の中の動きを見ていると、一件一件の家を丁寧に造ってゆくことの豊かさが、多くの人の手から奪われ、ある特権的な人たちだけのものになりそうです。そうなると、設計事務所というお仕事からも、個人住宅の設計なんてなくなってしまいかねない。ここ2年で激変する、とは、多くの人の口から出ている言葉ですが、我々も激変したあとの生き残りをかけている、と言えると思います。

投稿者 fuRu : 2008年06月24日 13:15