« Cantando---Bobo Stenson Trio | メイン | Luggage reached....... »

2008年10月29日

200年住宅について考える

[a-家づくりについて---house_making ]

「超長期住宅」、いわゆる「200年住宅」についての個人的な考えを書いておきます。

戦後の持ち家政策でマイホームブームが起こり、数多くの家屋がつくられましたが
その多くは25年から30年で建て替えられています。
作っては壊し、作っては壊しの繰り返し。
資源浪費の負のスパイラルといっても過言ではないでしょう。

建て替えの主な原因は次のようなものだと考えられます。

1、安普請でもマイホームを、ということで、そもそも長もちしない家屋だった。
2、生活のスタイルが変わってしまい、間取りの変更なくしては不自由でならない。
3、住宅の性能に不満がある。構造強度、断熱や防音など。

1も2も3も、いたしかたないことですが
1は手の打ちようがない、どうしようもないというところでしょうか。
しかし、2と3はリフォーム工事でずいぶんと改善される可能性がありますから
建て替えの前にリフォームという選択肢もあるはずです。

ただ、2と3を可能とするには
骨組みがしっかりしていないといけません。

さらに、建物はメンテナンスをしながら末長く使い続けるものですから
メンテナンスについても考えられていないといけません。

逆に言えば
骨組みがしっかりとしていてメンテナンスが容易な建物であれば
リフォームを繰り返しながら、末長く使い続けられるわけです。

作っては壊し、作っては壊しの資源浪費の負のスパイラルから逃れる道は
消費される家屋から使い続けられる家屋への転換にあります。

使い続けられる家屋は社会のストック、資産です。
その価値は個人の所有物という意味を超えてパブリックな意味を持ちます。
再利用し続け、使い続けることが出来る家屋です。

また、木材を豊富に使った木の家は
木という素材に大気中の二酸化炭素を固定化していますから
二酸化炭素のストックとも言えます。

これは余談ですが、お米や野菜を作る農地も社会のストックだと言えます。
お医者さんという人材もストックです。
ストックが豊富な社会ほど豊かな社会であると私は思います。

私の理解では「200年住宅」の目標とは、社会的なストックを提供することにあります。
それは、住まいを提供する考え方そのものなのだと思うのです。
それを、決して、ただのコピーライトにしてはいけない。

大きなサイズの骨組みで 大きな空間をつくることは
生活が変わり、あるいは住み手は代わった時にも柔軟に対応するためです。

私が手がける家づくりも
社会のストックとして価値あるものとなるように考えています。

<この記事 加筆修正の可能性あり>


※新しいホームページで情報更新中!!

投稿者 furukawa_yasushi : 2008年10月29日 11:10

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://af-site.sub.jp/cgi/mt/mt-tb.cgi/1714

コメント

古川さんの解説は、全く異論なくその通りですけど・・・・。

200年住宅って、なんとなくカワイクないんだな~。200年先を考えるって、人間様には無理なような気がします。出来ない事をやっても、必ず破綻するのではないでしょうか。

それより、住宅は既に余っていますから、「10年間住宅新築禁止」なんてどうでしょう。古川さんも僕も失業だけど・・・爆

投稿者 塩地博文 : 2008年10月29日 15:29

塩地博文さま
今回は正論を書いてみました。

たしかに、「200年住宅」って言葉、可愛くないですよね。
可愛くない=愛されない=長続きしない・・・・。

そういうことのないように、正論を抜き書きしておくのが良いと考えました。

ところで、10年間新築禁止でも
リフォーム工事で塩地さんも私も
きっと仕事にあぶれません<(^^)

投稿者 fuRu : 2008年10月29日 18:45