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2008年10月09日

シンポジウム「『日常の詩学』について」

[建築--architecture ]

昨日は東京工業大学で行われている
坂本一成建築展にあわせた企画の
”シンポジウム「『日常の詩学』について」”に行ってきました。
会場には定員の100名をはるかにこえた人が集まり
立ち見のみならず、ホワイエから傍聴する人びとであふれていました。
若い女性が多かったのが印象的でした。
とても面白くスリリングなシンポジウムでしたので少し覚え書きをしておきます。

「日常の詩学」とは?
日常をただトレースするだけではなく変化させること。
変化しすぎると「非日常」となってしまい、それは「日常の詩学」ではない。
坂本先生自身、今まで誰もつくったことのない空間を作りたいという思いで建築に関わってこられた。
先生の言葉からは「日常」から生まれる「詩学」というニュアンスも感じられた。

「日常の詩学」を実践する方法として
1,現実を重ねること 螺旋状に重ねる
2,現実の構成をずらすこと 凡庸化しているありかたを変化させる
3,構成形式を相対化して消去する

その結果として、矛盾、あいまい、二重性、宙づり感、が生まれた。

この後、散田の家、水無瀬の町家、代田の町家と年代順に自作を解説。
特に、散田の家と最新作の水無瀬の町家別棟の対比を説明されたのが印象深かった。

1976年の 伊東豊雄ー中野本町の家、安藤忠雄ー住吉の長屋 から始まる「閉じること」に対して
水無瀬の町家は同じく「閉じる」としながら、大きな開口部があるという点でいかに違うかということ。

代田の町家で、「閉じる」のではなく「いかに開くのか」がテーマになっている。

うがった窓。掃き出し窓を腰窓として使う。構造柱が開口部にまたがる。

「家型」から「分節」。

House F。分節された空間。
分節と統合のせめぎ合い。

コモンシティ星田。共有性。スロープ造成。プライベートとパブリックの関係。

House SA。らせん。

Hut T。内部と外部の曖昧さ。間仕切り壁のような建築。

Egota House A。スモールコンパクトユニットとアイランドプラン。最小限の小さな箱をばらまく。高層メゾネット。

QUICO 神宮前。独立したピュアな形ではなく。ただし、ランドマークとなりえるもの。

ドイツ工作連盟コンペ。開口部の問題。

自由な場所を求めて建築に関わってきた。
直感ですすめてきた。

以上、基調講演の覚え書き。

休憩の後、八束はじめさんらとの鼎談。

坂本 自分が大切にしてきたものはスケールとプロポーションであり、その関係性から生まれる緊張感であるとのこと。

八束 坂本作品における、言葉、言説の重要性についての指摘。

坂本先生から、自分は20年ほど前から一切自分でスケッチをすることをしなくなった。言葉で設計するということ。

八束 ヴィトゲンシュタインとの関連性

概念としての建築 生活としての建築

八束 多木浩二いうところのA・ローストの類似性に疑問

ヴィーン学団 厳密なプロトコルで組み立てる
その限界 家型

坂本 建築の固有性 ハンス・ホライン「すべてが建築」へのアンチ
建築として住宅を問題とすること
家型 表現であるとともに表現を否定するもの

八束 数十年前の坂本の伊東豊雄「中央林間の家」への発言 屋根の勾配が(感覚的に)違う
伊東豊雄の坂本論 坂本さんにとってモダニズムとは僕らのように問題ではないんだね
概念・理念の伊東豊雄に対して感覚の坂本

確かに、武蔵野美術大学で坂本先生から教えていただいたのは建築を感覚で捉えると言うこと。身体感覚とスケール感が大切だと言うことでした。

坂本 概念と生活、形式と理論 等価として考えてきた。

ヨーロッパの人びとに理解されるとは思っていなかった。受け入れられたことが驚きだった。

坂牛 ノイズミュージック、実験音楽、環境音楽 類似性

八束 概念と生活の狭間の緊張感が大切
昨今の「カワイイ」建築、「キモチイイ」建築は、概念と生活が直結していて気持ちが悪い。
概念と生活の緊張感を持ち続ける坂本の作品の重要性

6時に始まったシンポジウムもあっという間に8時半の終演時間を過ぎていました。


※新しいホームページで情報更新中!!

投稿者 furukawa_yasushi : 2008年10月09日 01:10

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コメント

興味の湧く様なシンポジウムですね。
本筋とは関係ないですが、八束さんヴィトゲンシュタインお好きなようですね。
以前読んだ「ヴィトゲンシュタインの建築」という本は面白かったです。

投稿者 スナフキン : 2008年10月09日 11:59

内容の濃いシンポジウムでしたね。
個人的には、坂本一成さんのお話をもっと聞きたかったように思いました。
僕のブログにも書きましたが、内容がありすぎて途中までしか書いていません。
古川さんは完走されましたね。
なんとなく感じていた伊東豊雄さんの違和感、坂本一成さんの共感は、非日常と日常、思考過程における生活への距離の問題だったんですね。

投稿者 東京町家 : 2008年10月09日 14:45

スナフキンsama
これほど内容の充実したシンポジウムは初めてでした。
環境音楽の話が比喩的に出てきた時に
坂本先生は建築界のブライアン・イーノかな?なんて、頭をよぎったのですよ。

投稿者 fuRu : 2008年10月09日 15:53

東京町家さま
本当に内容が濃かった。
一生懸命ノートにメモしていましたが半分くらいは書きもらしています。
録音していると思うので誰かがおこして公開してくれると良いんですけれどもね。
どうなんでしょう。
それはともかく、伊東豊雄さんとの関係が興味深かったですよね。
一番の収穫かもしれません。

投稿者 fuRu : 2008年10月09日 15:59