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2009年06月12日

「日本語が亡びるとき」---水村美苗

[books ]

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「日本語が亡びるとき」
著:水村美苗 出版:筑摩書房
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「然し是からは日本も段々発展するでせう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、「亡びるね」と云った。(「三四郎」夏目漱石)

敬愛する建築家玉井さんのブログで紹介されていたこの本。
日本語が亡びるとは過激なタイトルですが、本論は鋭利な刃物で日本語のおかれている現状を解体してみせてくれる刺激的な本。単なる過激なアジテーションだけで終わる本とは違います。その手さばきは構造主義、ポスト構造主義を連想させるところがありますが、著者自身が持つ日本語への熱い想いを、是でもかという冷静さで分析するその眼力こそが、この本の魅力なのではないかと思います。

この本を読んだ後に村上春樹の「1Q84」を読みました。
村上春樹の小説は世界の国々で翻訳され多くのフアンがいます。
とすると「1Q84」も様々な国の言葉に翻訳されるでしょう。
そういう目で「1Q84」を眺めてみると興味深いものがあります。

そもそもタイトルの「いち・きゅう・はち・よん」なんて言う読み方は翻訳不可能ですね。
また、本文中でもカタカナが効果的に使われていますし、日本で起こった事件のストレートな隠喩も多い。逆に、熱列的な海外の村上フアンはカタカナの微妙なニュアンスや日本という国で起こったことについて興味を持って知ろうと努力してくれるのかもしれません。

文学とはその国の土壌でしか意味を発生しないもの、とは水村さんの論旨。とすると「1Q84」は日本でしか成立しない小説ではないかといえそうです。しかし、「1Q84」の別の面を見てみると、そこには精緻に組み立てられた「物語」がしっかりとあり、この「物語」はまぎれもなく世界共通のものではないかという、強い確信を読んだ者は持つことでしょう。

世界の様々な言葉の持つ個別性、文化の違い。確かに小説はその上に成り立っている。でも、それを超えた「物語」の力というものが確かにある。だから、世界の人たちと心通わせることができると、私たちはこの世界を信じることができる。

ぜひ、村上春樹の「1Q84」を読まれた方は、この「日本語が亡びるとき」を読まれることをおすすめします。逆に「日本語が亡びるとき」はもう読んだという方。その方には村上春樹の「1Q84」を読まれることをおすすめします。


※新しいホームページで情報更新中!!

投稿者 furukawa_yasushi : 2009年06月12日 22:00

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コメント

お二人のブログで見ると凄そうな本ですね。
ちょっと高いから、図書館に請求してみようっと!

投稿者 kass : 2009年06月13日 23:19

kass さま
ともかく、斜に構えて読み始めましたが
とても読みやすい本でした。
ぜひ、ご一読を。

投稿者 fuRu : 2009年06月14日 19:32