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2009年09月23日

茅葺き屋根の葺き替え@可喜庵

[a-家づくりについて---house_making ,風景--landscape,cityscape ]

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町田にある鈴木工務店さんの「可喜庵」は茅葺きの民家で、鈴木社長さんの生まれ育った家を改築してギャラリーとして利用しておられます。
その「可喜庵」の茅葺き屋根の葺き替え工事を行っているというので見学に出かけてきました。
我々が行った、昨日(22日)はちょうど古い茅の解体作業をやっておりました。

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道路を挟んで手前の敷地に古い茅と新しい茅が積み上げられています。
今回の茅葺き工事は京都の職人さんにお願いしているそうです。

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茅葺き職人さん(お名前をお聞きするのを失念してしまいました)は、もともとは、簾や屋根葺き材に使う茅の問屋さんをやっていたのだそうですが、茅葺き屋根がなくなって、売る先も減ってゆくので、ご自分で屋根を葺こうと思ったのだそうです。
茅葺き屋根というと柳田邦男さんの「三角が飛ぶ」というエッセイを思い出します。その中で、30軒ほどの集落の単位で毎年全員共同して一軒ずつ屋根を吹き替えていた「結」の話が出てきます。
今回の茅葺き職人さんも、仕事を終えたあと、見学者に質問に答えて、茅葺き屋根が長い年月守られてきたのは何故かというご自身の考えを話してくださいました。
第一に、茅葺き職人というのは道具がほとんどいらなかったこと。技術も難しものではなく、日頃は農作業をやっている人にも出来たこと。農村地などの現金収入が少ないところでは、指導員としてプロの職人さんを雇い、基本的な労働力は村人たちの協力によって行うことが出来たのです。材料である茅も村単位で刈り集めておくためにコスト(材料費)がかからなかったこと。足場丸太も村で共有していたためにそちらもコスト(仮説足場代)がかからなかったこと。よって、現金をほとんど必要としない工事で可能な屋根葺きの方法は茅葺き屋根だったと言っておられました。
もちろん、現代は隣近所に茅葺き屋根の葺き替えを手伝ってくれる人もいませんし、茅は遠く京都や阿蘇から買ってこなくてはなりませんし、足場もどこかから借りてくるなりしないといけません。こうなってくると、えらくお金のかかる工事になってしまいます。
経済や社会の構造やシステムと家づくりの方法はリンクしているのですね。
現代社会で茅葺き屋根を守り続ける鈴木工務店の社長さんの考えもそこにリンクしているのではと思いながら帰ってきました。

茅葺き屋根の葺き替え工事は10月までかかるようで、10月22日の土曜日から予定されているギャラリーの展示が文字通りの杮落しとなるようです。24日の講演会にまた足を運んでみようと持っております。

『広瀬鎌二』―SHシリーズ
  講演会:10月24日(土)16:00~(予約受付中)/展示:10月22日(木)~11月2日(月)

可喜庵HP


※新しいホームページで情報更新中!!

投稿者 furukawa_yasushi : 2009年09月23日 17:15

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コメント

子供の頃住んでいた集落には共有の茅の山がありました。
「茅と(との字不明)」と呼んで、大事に野焼きなどを共同でして、
春にはワラビ取りやハイキングに行っていましたが、
後には茅が不用になったのか、植林をして針葉樹の山に変ってしまいました。

投稿者 いちよう : 2009年09月24日 09:16

いちよう さま
その針葉樹の山が、今は大変な事になっているのでしょうね。
近代は「時代」に振り回されてきた我々の歴史なんでしょう。
民主党が中止宣言したダムも57年の間にどういうことがあったのか、その史実を明らかにしてくれると良いのですが。

投稿者 fuRu : 2009年09月24日 09:26