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2010年04月05日

「邪悪なものの鎮め方」---内田樹

[books ]

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「邪悪なものの鎮め方」
著:内田樹 出版:バジリコ株式会社
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村上春樹にご用心」と同じく、内田樹さんがブログで書いてこられたことを一冊にまとめられた本です。

冒頭から村上春樹が登場します。
もうすぐBook3が発売される「1Q84」について「父」というテーマで書かれています。

どの社会集団もそれぞれに固有の「ローカルな父」を持っている。

この「ローカルな父」というのは社会のルールを決める秩序です。神であったり予言者であったり「絶対精神」と呼ばれるようなものです。

なぜ、私たちは「父」を要請するのか。それは,私たちが「世界には秩序の制定者などいない」という「真実」に容易には耐えることができないからである。

「父」なるものは正義を担保するものです。

正義を一気に全社会的に実現しようとする運動は必ず粛正か強制収容かその両方を採用することになる。

正義をローカルから解き放ちグローバルに展開するとき、ほんらい「ローカルな父」であるところのものを「父権性イデオロギー」として強要すること。そこに潜む不幸と悲劇が、人類の歴史だと言えるのかもしれません。

しかし、世界平和を願う時に

「父権性イデオロギーが諸悪の根源である」という命題を語る人は、そう語ることで父権性イデオロギーの宣布者になってしまう。

命題それ自体が「父権性イデオロギー」そのものになってしまう。

私たちは「父権性イデオロギー」に対する対抗軸として、「ローカルな共生組織」以上のものを望むべきではない。

そのために私たちは「父」なるものから逃れる必要がある。
内田樹さんは、村上春樹の「1Q84」に、その兆しを見ます。

「1Q84」は、困難な歴程の果てに,主人公たちが「邪悪で強大な父」という表彰そのものを無効化し、「父」を介在させて自分の「不全」を説明するという身になじんだ習慣から抜け出して終わる。

この15ページ程度の小エッセイがとても刺激的な本ですが、他にも

年齢や地位にかかわらず、「システム」に対して「被害者・受苦者」のポジションを無意識に先取りするものを「子ども」と呼ぶ。「システム」の不都合に際会したときに、とっさに「責任者出てこい!」という言葉が口に出るタイプの人は,その年齢にかかわらず「子ども」である。

という「「子ども」の数が増えすぎた世界」も、面白い。

最後から2番目の
「家族に必要なただひとつの条件」は
住宅を設計している者としては,とても大切なことが書かれていると思います。

ちなみに,現在読書中の「日本辺境論」は、この本の読みやすさに比べて、読み解くのに骨が折れる困難な本です。文体がまったく違っていて,同じ人の本とは思えないのですが、それも内田樹さんの表現方法なのだと思います。




※新しいホームページで情報更新中!!

投稿者 furukawa_yasushi : 2010年04月05日 12:30

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コメント

おおなんと!!内田樹さんのブログ時々みてます。
偶然にも、「日本辺境論」読み途中です。すぐ寝てしまって読み終わりません。

投稿者 ぴょんきちりぼん : 2010年04月05日 17:14

ぴょんきちりぼんさま
内田さんのブログは面白いですよね。
私もチェックしていますよ。
ところで,「日本辺境論」。
この本はとても難しい本だと思います。(簡単に読める本ではない)
読んでいると
李 御寧 さんの「「縮み」志向の日本人」を連想してしまいました。
「辺境」と「縮み」は、純正5度で響き合っていると思います。
読んでいないようでしたらぜひとも読書リストに加えてください。

投稿者 fuRu : 2010年04月05日 18:05