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2010年12月24日

モモ---ミヒャエル・エンデ

[books ]

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モモ
著:ミヒャエル・エンデ 訳:大島 かおり 出版:岩波書店
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ちょっと前ですが、ミヒャエル・エンデを初めて読みました。
ああ、この本を もし高校生のとき、あるいは大学生のときに呼んでいたらどんなだったろうかと、頭をよぎります。
たぶん、私は間違いなくエンデの世界にのめりこんでいったことでしょう。

人は自分の時間を自分自身のために使っています。
他人のために人に協力する時間も、感謝され、人と人とのつながりを感じることが出来ますから、すなわちそれは自分自身のために使った時間だと言えるのです。
しかし、一方では無駄な時間もたくさんあります。おしゃべりしたり考えたり、一緒に悩んだり。でも、無駄とはいっても、その人にとっては大切な時間。それらの時間は人と人の架け橋であり、人と人をつないでくれる潤滑油です。このように、人は自分の為に必要な時間を使っています。無駄な時間なんて本当はありません。その時間が人と人をつないでくれているのです。

でも、少しでも早くたくさんのことを成し遂げようとすれば、おしゃべりは禁物。悩んだり考えたりすることも無駄な時間とされてしまう。その無駄な時間を取り除き合理的に時間を使うことができれば、もっともっと時間を有効に使うことが出来る。モノを作るのだったら、もっともっとたくさんのものを作ることが出来ます。
しかし、そのとき時間は、人との関係を失ない生産性で評価される、つまり時間がお金としてやり取りされるようになります。
自分自身のためにあった時間をお金と引き替えに差し出すこと。自分の時間を誰のものでもないお金にして貯めること。そして、自分の為に必要であったはずの時間が失われ、お金を貯めることが目的になったりします。
「モモ」はそのように自分の時間を失ってしまった人たちの物語です。

モモの中ででてくる「時間泥棒」とは自分自身のものであったはずの時間を奪われていませんか?と、現代人へ大きな疑問符です。

一人一人が自分自身の時間を持つこと。自分自身であること、自分を失わないこと。

ファンタスティックなお話でありながら、テーマは深い。深いけれども暗くはない。これはこれはとても素敵な物語なのです。

クリスマスの夜に書き留めておきたい一冊。

岩波少年文庫版はこちら


※新しいホームページで情報更新中!!

投稿者 furukawa_yasushi : 2010年12月24日 10:20

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コメント

ご無沙汰しています。ほぼ無駄でできていて、生産性が低〜いタイプの小野寺です。放っておくと日がな一日、お友達とおしゃべりして料理でもしながら(たまに絵を描いて)過ごしてしまいそうです。食べるものが買えなくなると困るので、現代日本の社会に合わせて、多少がんばっているのですが、なかなか人並みにはなれません。南欧や東南アジアを訪れるとホッとするのは、時間の感覚が自分とやや近い人がまだいるからかも...。
まれに、大企業のかっこいい無機質なビルを訪問すると、必ず「モモ」の本を思い出してしまいます。嗚呼...「モモ」の本は救いだわ。

投稿者 kadoorie-ave : 2010年12月25日 11:42

kadoorie-ave さま
貴女は私の中では「クリスマスママ」という感じで、それがどういう感じなのかは説明が難しいのですが、そういう貴女にコメントを頂いて嬉しい限り。
クリスマスは時間を大切にすることを思い出す一時なのかもしれません。

投稿者 fuRu : 2010年12月25日 17:19