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2011年08月09日

「最後の授業」---北山修

[books ]

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「最後の授業」
著:北山修 出版:みすず書房
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私は北山修のフアンです。
もちろん、私はフォーク・クルセダーズの「帰ってきたヨッパライ」が大ヒットした時代に幼少期を送った世代なわけですが、その時に北山修を知っていたかというとそんなことはありません。たまたま学生時代に本屋さんでみつけた「他人のままで」という単行本の著者として、精神分析医として、私は北山修と出会ったのです。

フォーク・クルセダーズが1968年に解散したあとの北山修はラジオのDJをつとめながら音楽活動を続けていました。特に作詞家としての功績は素晴らしい。その北山修は精神分析医としての道を進むべく大学院に進学、それと同時に音楽活動から離れてゆきました。

北山修はラジオのDJを通じたマスコミュニケーションの送り手側の体験者としての自らの貴重な経験から、マスコミュニケーションとパーソナルコミュニケーションの分析をはじめます。先にあげた「他人のままで」もその一冊なのです。
その後、さらに北山は、一方公的なマスコミュニケーションが、インターネットなどにより双方的になったことと、パーソナルコミュニケーションの差異を分析しています。その論理と精神分析医としての臨床を通じたひとつの回答がこの「最後の授業」のテーマになっているのです。

北山修のフアンに限らず、メディアを通じたコミュニケーションについて考える人には読んでみる価値のある本ではないかと思います。

コミュニケーションツールとしてインターネットに可能性があるとすれば、インターネットコミュニケーションとパーソナルコミュニケーションとの違いを考えることが必要だと思うのです。

ウィキペディアより著書

<単著>

[精神分析学関係]
1982年 『悲劇の発生論――精神分析の理解のために』金剛出版
1985年 『錯覚と脱錯覚――ウイニコットの臨床感覚』岩崎学術出版社
1988年 『増補 悲劇の発生論――精神分析の理解のために』金剛出版
1988年 『心の消化と排出――文字通りの体験が比喩になる過程』創元社
1993年 『見るなの禁止』北山修著作集・第1巻、岩崎学術出版社
1993年 『言葉の橋渡し機能』北山修著作集・第2巻、岩崎学術出版社
1993年 『自分と居場所』 北山修著作集・第3巻、岩崎学術出版社
2001年 『幻滅論』みすず書房
2001年 『精神分析理論と臨床』誠信書房
2004年 『増補版 錯覚と脱錯覚――ウィニコットの臨床感覚』岩崎学術出版社
2007年 『劇的な精神分析入門』みすず書房
2009年 『覆いをとること・つくること』岩崎学術出版社
2010年 Prohibition of Don’t Look: Living through Psychoanalysis and Culture in Japan 岩崎学術出版社
2010年 『最後の授業――心をみる人たちへ』みすず書房

[文化論関係]
1969年 『くたばれ芸能野郎』自由国民社
1971年 『戦争を知らない子供たち』ブロンズ社
1971年 『さすらいびとの子守唄』角川書店
1973年 『ピエロの歌』角川書店
1975年 『白いクジラの泳ぐ空』(広野勝絵)ブロンズ社
1975年 『止まらない回転木馬』中央公論社
1977年 『人形遊び――複製人形論序説』中央公論社
1979年 『サングラスの少女』中央公論社
1981年 『ジョン・レノン――All that John Lennon1940-1980』(共著)中央公論社
1983年 『人形は語らない――出会いの不在-不在との出会い』朝日出版社
1985年 『うい・あー・のっと・ざ・わーるど』彩古書房
1985年 『他人のままで』集英社(きたやまおさむ名義)
1987年 『ビートルズ』講談社現代新書(きたやまおさむ名義)
1997年 『みんなの精神科』講談社(きたやまおさむ名義)
1997年 『みんなの深層心理』講談社(きたやまおさむ名義)
1999年 『心のカタチ、心の歌』講談社(きたやまおさむ名義)
2005年-2006年 『ふりかえったら風』1―3巻、みすず書房
2008年 『北山修/きたやまおさむ 百歌撰』(編著)ヤマハミュージックメディア
2009年 『ビートルズを知らない子どもたちへ』アルテスパブリッシング(きたやまおさむ名義)

<共著>

1993年 『こころから言葉へ』(共著)弘文堂
1993年 『改訂版・精神医学辞典』(編著)弘文堂
1996年 『日本語臨床1 恥』(編著)星和書店
1997年 『日本語臨床2 〈自分〉と〈自分がない〉』(編著)星和書店
1999年 『日本語臨床3 〈甘え〉について考える』(編著)星和書店
2001年 『阿闍世コンプレックス』(編著)創元社
2002年 『精神分析事典』(編著)岩崎学術出版社
2004年 『語り・物語・精神療法』(編著)日本評論社
2005年 『こころを癒す音楽』(編著)講談社
2005年 『共視論』(編著)講談社選書メチエ
2006年 『日常臨床語辞典』(編著)誠信書房
2007年 『今語る あの時 あの歌 きたやまおさむ――ザ・フォーク・クルセダーズから還暦まで』(共著)アートデイズ
2008年 『現代フロイト読本』1・2(編著)みすず書房
2009年 『罪の日本語臨床』(編著)創元社
2009年 『日本人の〈原罪〉』(共著)講談社現代新書
分担執筆(主要なもののみ掲載) [編集]

1982年 「〈この国〉における父と母の位置づけ」、馬場謙一編『青年期の精神療法』金剛出版
1982年 「治療の終結」、小此木啓吾他編「精神分析セミナー」岩崎学術出版社
1986年 「多重人格」、詫磨武俊監修「パッケージ・性格の心理3「問題行動と性格」」ブレーン出版
1989年 「移行期における〈わたし〉の危機」、河合隼雄編『心とは(岩波講座 転換期における人間3)』岩波書店
1989年 「文化と精神療法」、河合隼雄編『臨床心理学大系9 心理療法3』金子書房
1999年 「対象関係論」、岩崎徹也・小出浩之編『臨床精神医学』第15巻、中山書店
2006年 「母性と心身一如性」、日本女性心身医学会編『女性心身医学』永井書店

<翻訳>

1979年 H・ブレイサー『ぼく自身のノオト』人文書院
1979年 S・ラックマン『恐怖の意味――行動療法の立場から』誠信書房
1982年 M・ラター/L・ハーソブ編『最新児童精神医学』(共訳)ルーガル社
1985年 M.クライン著作集4『妄想的分裂的世界』(共訳)誠信書房
1988年 D・W・ウィニコット『小児医学から児童分析へ――ウイニコット臨床論文集1』(監訳)岩崎学術出版社
1989年 D・W・ウィニコット『抱えることと解釈――精神分析治療の記録』(監訳)岩崎学術出版社
1990年 D・W・ウィニコット『児童分析から精神分析へ――ウィニコット臨床論文集2』(監訳)岩崎学術出版社
1996年 P・マホーニィ『フロイトの書き方』(監訳)誠信書房
2002年 D・W・ウィニコット『ウィニコット書簡集』(共監訳)岩崎学術出版社
2005年 J・ストレイチー『フロイト全著作解説』(編集・監訳)人文書院
2006年 S・フロイト『「ねずみ男」精神分析の記録』(編集・監訳)人文書院
2008年 J・サンドラー他『患者と分析者――精神分析の基礎知識 第2版』(共監訳)誠信書房
2008年 P・フォナギー『愛着理論と精神分析』(共監訳)誠信書房


※新しいホームページで情報更新中!!

投稿者 furukawa_yasushi : 2011年08月09日 10:20

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コメント

ほぼ一年ほど前にNHK教育で同タイトルの番組が四日連続で放送されていました。

そういえば北山修氏が南青山周辺で精神分析医としてクリニックを開業していたころと思いますが、たぶん子供の保育園の送り迎えとか、一人でとか、裏道を自転車とかスクーターに乗っている姿を何度か見かけたことがあります。

投稿者 iGa : 2011年08月09日 14:22

iGaさま。その番組を見そこねてしまったんですね。北山修が精神科医としてテレビで顔を見せるというのは、患者さんもいるわけですから大変なことだと思います。もしかしたら、マスメディアとの関係性についてひとつ吹っ切れたということなのかもしれません。北山修のメディア論、今後とも注目してゆきたいと思います。

投稿者 fuRu : 2011年08月09日 14:48

昔のことですが、北山修氏がジキルハイドと名のっていた頃、
何度かコンサートに行きました。楽しい思い出です。

投稿者 tak : 2011年08月09日 21:12

tak さま
確か、漢字で書くと「自切俳人」でしたよね。
うらやましいです。

投稿者 fuRu : 2011年08月10日 10:34