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2004年06月03日

地球のたまご--249刷と風景の再生

[ゆっくり--slow ,樹木・草--plants ,風景--landscape,cityscape ]

040602-tamago.jpg

6月2日。浜名湖のほとりに出来上がった「地球のたまご」の落成式に参加した。
このプロジェクトに僕は建物の実施設計で参加したのだ。

6月1日のエントリーは落成式の準備中、携帯電話で現地から投稿したものだ。

「地球のたまご」プロジェクトは、OMソーラー協会の新社屋建設と、その敷地に浜名湖の原風景を再生するプロジェクト=ドングリプロジェクトの総称だ。
ドングリプロジェクトについては、以前ホームページで書いたことがある。
「249刷と風景の再生」というエッセイだ。

以下、その全文を再掲載させていただく。

249刷。出版物は増刷のたびに本の奥付けに、この本が何回目の増刷の時のものか記録される。 もちろん人気のある本は印刷しても印刷しても売り切ってしまって増刷することになる。

249刷という数字を目にした時、さすがに僕はびっくりした。これを越える数字があるのだろうか。あるとすれば、それは聖書か何か特別な書物であるはずだ。
もったいぶっているわけではない。この249刷という本は子供向けの絵本だ。この絵本は、宮崎駿監督の映画「となりのトトロ」を、そのアニメのセル画を使って絵本化したもので出版社は徳間書店。249刷。多くの子供たちの目にこの絵本はふれているに違いない。

「PLANTAGO」とうランドスケープデザインを手がけている事務所がある。
代表は田瀬さんといい、北九州博多の天神にある複合ビル「アクロス」の屋上緑化を手がけた方だ。この分野ではたぶん知らない人はいない。

この田瀬さんのお手伝いというか、自分自身も関わっているプロジェクトの一環で、先日、そのプロジェクトの計画地(静岡県浜名湖のほとり)に行った。敷地内は何年も放置されたままで様々な植物が生え茂っている。我々の仕事は、生え茂る植物の採集と、採取された植物をサシ木にして、このプロジェクトのための苗木を育てるための最初の段階をお手伝いすることだ。

サシ木作業の前日には、浜名湖に注ぎ込む河川の上流までさかのぼってみた。このフィールドワークの目的は、浜名湖周辺の里山の風景を探ること。そして、自生してる雑草群を見つけること。見つけた雑草群(おもに休耕田にあることが多い)は、後日サンプリングされ敷地に移植・増殖させる計画だ。
サシ木とサンプリングが目指すものは、里山の風景の復元だ。

映画の「となりのトトロ」をみられた方は多いと思う。僕は自分の娘のためにDVDを買ってきたのだが、娘と一緒に何度も観た。こんなに何度も観るとは自分でも思ってもいなかった。むかし、一度観たことがあって、そのときはつまらないなあと思って途中で観るのをやめてしまった。僕をつまらない思いにさせたのは、たぶん、背景に描かれている田舎の風景なんだと思う。少なくとも僕が幼少の頃まで、トトロに出てくるような風景は、見ようと思えば簡単に見ることが出来たと思う。そして、新潟の田舎町で生まれ育った僕にとっては、その田舎の風景は、変化の少ないありきたりの日常生活そのものであり、その前から逃れたいものの一つだったのだ。ではなぜ、いまトトロに描かれているような里山の風景が僕の心を引きつけるのか。

浜名湖の水源地帯で僕らは未だに残る田舎の風景を発見し、それにみとれた。みとれながら思ったのは、現在の自分のまわりには、もうこのような風景は(ほとんど)残されていないという思いだった。

では、トトロに見入る自分、浜名湖の水源地帯の風景に見入っている自分がそこにいるのは、たんなる哀愁、失われ行くものへのシンパシーの念だけなのか??
そうではないだろう。自分の体が欲している、とでもいうのだろうか。自分がその風景に包まれている時のその快適さは、かけがえのないものだということに気付く。
山登りが好きで学生時代からよく山を目指すが、僕を山へ向かわせているものは決して「そこに山があるから」というようなロマンチシズムではない。山頂からの素晴らしい眺望も魅力の一つだが、やはり山の風景の中に自分の体が包み込まれる快感を体が求めているのだ。自然と対峙するのではなくともにそこに「ある」ということ。

だが、自然は恐ろしい。人里から遠く離れた山中に一人取り残されたらどうして良いかわからなくなり恐ろしい孤独が襲ってくるだろう。以前、妙義山に一人で登っている途中の谷間で、まったく音が聞こえなくなった。音のブラックホール、真空状態というものがそこに生じたのだろう。その真空状態で、僕は平衡感覚を失い、そして、目の前がぐるぐる回りだし気絶しそうになった。気絶する瞬間に道の向こう側から藪をこぐ人のざわめきが聞こえ、僕は我に返ることが出来た。自然と人間が作り出しているこの世界の間に横たわるとても深い溝を僕は体験したのだと思っている。

そう、自然そのものは恐ろしく、とても人が心地よくなるようなものではない。では、山で感じる心地よさとは何か?山に登って自然とともにあるというとき、僕らの目の前には多くの人々によってつくられた登山道がちゃんとあり、北アルプスならばあちこちに山小屋がある。人の作り出した世界と僕らはそうした道と小屋などで小さくつなぎ止められている。つなぎ止められているからこそ僕らは心地よさを感じることが出来ることに気付く。

かつて、里山というのは人と山をつなぐ場所で、そこには手入れされた雑木があり、山の幸が採れ、炭焼き小屋があって、僕らの生活を支えていた場所だった。人の世界が自然そのものと関わる場所、関わることが出来る場所だった。今、里山が失われ、人は自然と接するきっかけを失う。場所を失い僕らは場所をも求める。昨今の山登りブームや家庭菜園ブームに 僕はそうした人々のエネルギーを感じるのだ。

さて、サシ木の作業をしていたら近くに先月のサシ木に根が生え新しい葉が付いていた。まさに言葉通りの「草の根」だ。
里山の風景を復活させようとサシ木をサシ、野山を駆けめぐる田瀬さんの姿は感動的でさえあった。

トトロで描かれた風景が、249刷という多くのイメージとともに子供たちの心に届いているのだということ。そして、宮崎駿の言うように、現在の子供たちがどんどん悪くなって行く世界に失望し自分の存在が肯定できないような、そんなことにならないように。生きていると言うことを最大限に肯定するために、田瀬さんの姿を少しでも自分の仕事に取り込むことが出来たらと思っている。

まずは、サシ木からだ。

<蛇足>田瀬さんの仕事とトトロは関係ありません。
(2002.08.22記、09.20改稿)

私がやった挿し木も「地球のたまご」の敷地のどこかに植えられた。田瀬さんからのアドヴァイスでBallan:17_Houseの敷地からマテバシイのドングリをもらってきて発芽させた苗は我が事務所の打ち合わせテーブルの上でどんどん生長している。
風景の再生、その大きな第一歩が いまふみ出された。
10年後、20年後に成果が問われるプロジェクトだ。

投稿者 yasushi_furukawa : 2004年06月03日 16:56

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浜名湖畔に建設中だったOMソーラー協会の新社屋「地球の卵」がオープンした。... [続きを読む]

トラックバック時刻: 2004年06月03日 18:55

» 地球のたまご from OMソーラーの家「東京町家」
今回の研修のメインイベント、地球のたまごに朝着いた、と言っても同じ浜名湖のほとりにあるホテルからは、たいした時間も掛からずに到着。「地球のたまご」とはOMソーラー協会の本社屋兼自然エネルギーを活用した、新しい時代の住まいのシステムを開発するための研究、... [続きを読む]

トラックバック時刻: 2005年02月26日 11:35

コメント

OM計画株式会社のホームページに
「地球のたまご」の全容が紹介されています。
http://www.omplan.co.jp/index.html

投稿者 古川泰司 : 2004年06月08日 10:50