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2005年09月26日

ケアタウン小平

[建築--architecture ]

昨日は、「ケアタウン小平」の完成見学会に行ってきました。
場所は小金井公園の西、小金井カントリークラブの南に面した
閑静な住宅地のなかにあります。

「ケアタウン小平」は、「桜町病院ホスピス」の立ち上げに尽力された
ホスピスコーディネーターの長谷さんが
自らの理想と考える場を求めて、山崎章郎先生とともに始められる
全く新しい施設です。

「桜町病院ホスピス棟」は
僕が「長谷川アトリエ」に在籍していたときに
設計スタッフとして参加させていただきました。
今でもはっきりと覚えていますが
「人が死ぬということは病気ではない、だから、ホスピスは病院ではない、それは人が住まう(生きる)家なのです。」
設計を依頼された長谷川アトリエの長谷川をはじめとする僕ら所員全員に語られた
山崎先生と長谷さんのその言葉がすべてといってもいいその建物は
病院のなかの一施設としては大きく異なった仕上がりをもってその姿を成すに至りました。

当時、ホスピスケアは、全国的にも始まったばかりという感じで
手本も見本もないような手探りの状態のなか
何度も何度も打ち合わせ重ねて、少しづつそのイメージが形成されていったのです。

人が自らの死を受け入れる、その時間をいかに過ごすか。
大変な問題ではありましたが
自然体で過ごせる空間が、それにもっともふさわしいと
誰もはっきりと口にはしませんでしたが、
設計にかかわった僕ら全員が共有して感じていたことだったと思います。

その「桜町病院ホスピス」は、多くの入所希望者があらわれ
現在でも多くの方々が順番待ちという状態が続いているそうです。

しかし、ホスピスケアを求めている人はホスピスに入所できる人の何倍もいるのです。
そこで、できるだけ多くの人のケアが出来るような
そのための場所が新たに必要だ、そういう思いを持ったのだと長谷さんは語っておられました。
それにしても、もう10年以上前のこと。そして10年ぶりにお会いした長谷さんは
うれしいことに、この僕のことを覚えてくれていました。

さて、では、理想的なホスピスケアの場とはどういうものなのでしょうか。
それは、この建物の機能に端的に表れています。
つまりは、終末医療を求めている人だけの場にしないこと。
ホスピスはもちろん静かな場所である必要がありますが
そこに、健常者といわれる人たちが自然にいてくれること。
そして、互いに助け合って次の世代につなげてゆくこと、そういうことが可能な場所をつくること。
それから、周囲の雑音を遮断して閉じるのではなく、出来るだけ開いてゆこうとすること。
ですから、「ケアタウン小平」はたんなるホスピスではありません。
そこには、ホスピスケアを必要とする人もいるでしょう、
終末期の人たちのお役に立ちたいと考える方もおられるでしょう。
そういう人たちが共同ですむ場所。
それが「ケアタウン小平」なのです。
この建物の用途はデイケアやホスピスケア、そして集合住宅の機能を持った複合施設なのです。

それぞれの独立した機能は
中央の中庭を介してゆるく、時には強く、有機的につながっています。
その中庭のゆったりとした空間は、ゆったりとした時間を生成してくれているようでした。

この中庭を中心とした集合住宅の中で相互扶助のネットワークがはぐくまれることでしょう。
それゆえに、この場所の名前に「タウン」と名付けられたのだと思います。

設計は、「太田ケア住宅設計」。
桜町病院のホスピス棟の設計監理でチーフとして尽力した
太田さんが長谷川アトリエを独立後、設立された設計事務所です。

「ケアタウン小平」は

・賃貸ワンルームマンション「いっぷく荘」
・ケアタウン小平クリニック
・ケアタウン小平訪問看護ステーション
・ケアタウン小平デイサービスセンター
・ケアタウン小平食事サービス
・ケアタウン小平ゼロケアステーション

のそれぞれのサービスで構成されています。

詳しくは
有限会社暁記念交流基金ホームページ」をご覧ください。

投稿者 yasushi_furukawa : 2005年09月26日 09:35

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 東京都小平市に先月完成したケアタウン小平、いっぷく荘を見学させていただきました [続きを読む]

トラックバック時刻: 2005年11月18日 16:44

コメント

入院している時に、病院で死ぬと言う事はどういう事なのかを、強く意識しました。
どれだけ清潔で、どれだけ手厚い看護を受けても、やっぱり家に帰りたい。けれど、再発やさまざまな状況で再入院なさっている方の多い事。
私の入院していた病院のラウンジは広く、景色も良かったけれど、fuRUさんのおっしゃる「共同ですむ場所。」では、そこはありませんでした。
「ホスピスと病院はそもそも違う」と言われればそれまでなんですが。健康な人、そうでない人。共存できれば、どんなにかと心から思います。そしてホスピスと私たちが住むこの社会が渾然一体となれば・・・いや、そもそもそれが本来の望まれる社会なのでは??・・・なんて柄にもなく、考えましたです。

投稿者 kazoo : 2005年09月26日 13:58

kazooさん
>ホスピスと私たちが住むこの社会が渾然一体
まさに、コーディネーターの長谷さんが理想としているところはそこだと思います。
人は病気を忌み嫌うものとして閉じこめてしまった、それが病院だと思います。
閉じこめてしまうと、人と人が出会う可能性が断ち切られてしまいます。
それは悲しいことですよね。
ホスピスケアを通して考えられてきたことを
記事の中でリンクしました有限会社暁記念交流基金ホームページで
長谷さんと山崎先生が語っておられます。

投稿者 fuRu : 2005年09月26日 15:47

ここ、見に行こうと思ってたんです。
現場から数分だし…、
打ち合わせがトリプルでバッティング(>_<)
行けませんでした…。

ここの手摺は僕も使ってる稲木さんの育てた海布丸太ですよ。

投稿者 ひなよし : 2005年09月26日 19:35

ひなよしさん
ちょうど見学に来ていた東京ペレットの川尻さんとお話ができました。
そういえばひなよしさんがブログで記事書いていましたよね。
がんばれ!東京ペレット。

投稿者 fuRu : 2005年09月26日 20:09

こちら、地図↓を見ると、緑が多くていい場所ですね。
http://www.akatsuki-kinen.net/ippuku/map_gaido.htm
この地図にある「多摩湖自転車道」は、私が時々サイクリングする道です。
三鷹〜東村山あたりまで、1時間かからずに行けます。
小金井公園に寄ったり古本屋に寄ったりして、なかなかいい感じです。

ホスピス(緩和ケア病棟)には、私にも想い出があります。
2年前、父が脳腫瘍(原発性の悪性リンパ腫)で倒れた時のこと。
意識混濁、横須賀と横浜の病院を3つタライ回しされたので、
これは患者側が自己責任でベストな選択をするしかないと思いました。
で、幸い、ネットで情報公開(例えば下↓の資料)が進んでいたので
http://www5.airnet.ne.jp/shimin/sub6.htm
どんどん電話して、相手の反応と条件を聞き、
◎紹介者がなくても入れる
◎余命6カ月というシバリが必ずしもない
◎本人の明確な意志がなくても(意識やや混濁なので)入れる
◎見学と相談を積極的に受け入れてくれる
◎「まったく治療しない」のではなく、一般病棟において
 抗ガン材投与などの治療の可能性も否定しない
◎もちろん、入室まで数カ月待ちということがない
◎家族が行きやすい(あるいは泊まりやすい)立地と施設がある
といった条件で絞りこんで、
地元横須賀の衣笠病院(ここは聖路加とつながりが深い)と、
父が生まれ育った長野県諏訪の2つのPCUを候補にしました。

私の仕事がらみで、衣笠の方は病院理事を紹介してもらえたので、
早々に私は見学できたし、受け入れもスムーズに行きそうでした。
でも、資料をそろえて母に話したら、受け入れてもらえなかったです。
「いまの先生に任せておけばいい」「いまの先生にヘソを曲げられたら大変だ」
というワケで、緩和ケア病棟へ移ることはできませんでした。

介護のケアマネも巻き込んで、母の説得を試みましたが、結局ダメでした。
「いちど見学して話を聞くだけでもどうか」と言ったのですけどね。
結局、父は治療のかいなく狭い一般病棟で、夜中はベッドに縛られて
(トイレに立とうとするので)他界しました。
なかなかうまく行かないな、と思いましたね。

投稿者 tad : 2005年09月28日 04:16

tadさんのコメントを読んで
「北の国から」で、なかなか転院しない石田あゆみのことを思い出してしまいました。
>「いまの先生に任せておけばいい」「いまの先生にヘソを曲げられたら大変だ」
そういう価値観って、根強いでしょうね。
「親方日の丸にまかせておけば大丈夫」につながっていますが。

投稿者 fuRu : 2005年09月28日 09:38

はじめまして。検索でヒットしまして、思わず投稿・トラックバックさせていただきました。
何よりも建築コンセプトが気に入っている私です。よろしければmy blogへご訪問下さい♪

投稿者 cafemars : 2005年11月13日 02:52

cafemarsさん こんにちは
おばあちゃあまさんがこちらの「いっぷく荘」に入居されたとのこと。
そういう方の声が、こうして届いてくるのも
インターネット検索にヒットしやすいブログの力ですね。
ぜひ、入居後のお話しも貴ブログにて紹介していってください。
建築の中庭を中心にした配置は長谷さんの抱いていたアイデアだそうです。
長谷さんの気持ちがストレートに伝わってくる建物だと思います。
もちろん長谷さんが設計をしたわけではなく、設計は記事にも書きましたとおり太田さんという方です。
長谷さんの気持ちを形にしてゆく作業が設計の良さとして現れている建物だと思います。
こういうことが設計なんだと僕も思っています。

投稿者 fuRu : 2005年11月13日 10:54

fuRu-san

さっそく、私のブログ訪問ありがとうございました。ネットの便利さをしみじみ感じた私です。
もちろん、大田設計さんにはとても関心が高くなりました。これから祖母のところへはよく遊びにお伺いするので、機会がありましたら大田設計さんからの直接お話もお伺いできれば嬉しいです。
今は、雰囲気としてまだみなさん、入居されたばかりなので、お互いのコミュニケーションをゆっくりとりはじめている感じです。が、なによりもスタッフの皆さんは大変温かく、居住者たちのほっとしたところを感じています。私も家族として何かコミュニティーを活性化することにお手伝いできないかと模索中~。
fuRu-sanももし、いっぷく荘へお越しになる機会がありましたらぜひお会いできれば嬉しいです♪

投稿者 cafemars : 2005年11月13日 12:42

cafemarsさん
今度いっぷく荘に行かれたら
長谷さんに「古川」のやっているブログに載っていましたね、と言ってみてください。
この記事は長谷さんにも見ていただいています。
cafemarsさんのいっぷく荘のレポート、楽しみです。

投稿者 fuRu : 2005年11月13日 21:21

fuRuさん、memoのskiyoseです。
訪問いただきありがとうございました。
この「ケアタウン小平」はとても気持ちのいいたてものですね。
完成してまだ数ヶ月というのに、もっと以前からそこにあったという感じで
周辺の雰囲気になじんでいます。
外構の歩道やベンチなど随所に面白い仕掛けがみられ、楽しませてもらいました。

投稿者 skiyose : 2005年11月17日 16:38

skiyoseさん
こんにちは
TBとコメントありがとうございます。
良い建物ですよね。
隣接する建て売り住宅群にはうんざりましすが。
共通の知人がいるというのも不思議な縁を感じます。
これからもよろしくお願いします。

投稿者 fuRu : 2005年11月17日 17:01

小金井に住んでいます。桜町病院にお世話になっていました。小平のことは山崎先生の御著書などで早くから存じ上げていました。いろいろな事が重なって、いまは麻痺と痛みの残る主人の介護を自宅でやっております。見学にお伺いしてもいいでしょうか。

投稿者 iwata : 2006年03月26日 23:27

iwataさま
見学のお問い合わせは
記事中にもリンクがあります
暁財団の方にお願いいたします。

投稿者 fuRu : 2006年03月27日 14:11

お久しぶりです。
今度いっぷく荘で私をふくめて音楽仲間が6月24日14:30~にダイニングにて演奏することになりました。もしよろしければどなたでも歓迎ですのでお越し下さい。マイブログに少しのせています。

投稿者 cafemars : 2006年05月30日 01:35

cafemarsさん こんにちは
ケアタウン小平という場所が
人と人を生き生きとつないでいる感じがします。
コンサートには行けるかどうかわかりませんが
入居されている方々をはじめ
多くの方の笑顔が目に浮かぶようです。

投稿者 fuRu : 2006年05月30日 14:54

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