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2005年11月20日

「吉村順三の現代的意味」

[建築--architecture ]

11月19日 土曜日。
東京芸術大学の美術館で行われている「吉村順三建築展」。
それを記念するシンポジウムがあったので、行ってきました。
パネラーは
植田実さん、藤森照信さん、松山巌さん、と、なんとも豪華。
とにかく、面白くて充実したシンポジウムで
これだけのものはなかなかないのではないでしょうか。

自称「不肖の弟子」こと、松山巌さんの進行ではじまりました。

最初は植田実さん。
吉村さんの自宅の増築工事をたどりながら、同時代の他の建築家が発表した小住宅との違いを指摘。
池辺陽、増沢洵、広瀬謙二、清家清、それらの小住宅がその小ささの中に完成した姿を求めた結果としての純粋な結晶のような存在であり、逆にそれ故に増改築が容易ではない構造になっている点に注目。これに対して、吉村順三の自邸は、同じ小住宅でありながら、どんどん増改築で手が加えられていった。これは、吉村が「人の生活」というものを見つめていたからではないかという話があった。

次に藤森照信さん。
吉村順三の軽井沢山荘の出生について持論を話された。
アントニオ・レーモンドの夏の家が吉村の中で(たぶん無意識的に)どのように受け取られたのか。土留めの上にせり出した建物の下の空間。レーモンドとしては意図してつくったわけではない、そういう「場所」。それが吉村にとってとても大切な場所だったことが、生前のインタビューで吉村の言葉として残されている。聞き手はもちろん藤森氏。そして、そういう「場所」は吉村山荘のアプローチの軒下のような場所として、新しい命を与えられたとする。
吉村山荘の「外観なんだけれども外観でない」たたずまい。それは軒下空間のような、中のような外の空間。藤森氏は吉村山荘を通して、日本的な空間意識、それはすなわち、建築というものの価値のあり方までへも視線を投げかけ浮き彫りにしようとしている、と感じた。
さらに、藤森氏の話は、吉村とF.L.ライトとの関係、太平洋戦争開戦の時に何を思ったかと言う話も出た。吉村順三は「国が戦争を起こしたんだから、自分は事務所を開こうと思った」と言ったそうです。それを聞いた藤森氏は吉村順三のことを「芯のある人だ」と思ったそうです。なんだか、すごい話です。

最後の方で、植田さんから、吉村順三、およびその流れをくむ人々の良さは「普通」という言葉でくくられてしまうことが多く、現在主流になりつつある建築雑誌のスタイリッシュな選択眼からは漏れ落ちてしまうということが指摘された。しかし、吉村やその流れをくむ人たちは単に「普通」と言うことではくくれない、豊かなアイデアを抱えている。それは、今の時代に埋もれさせてしまうことなく伝えてゆくことが必要だという話があった。いろいろ考えさせられる話です。

というわけで、もうもう、ほんと、てんこ盛りの内容充実のシンポジウムでした。

<蛇足>
シンポジウムの後、会場に集まった諸氏集合で会場入り口に立てられた吉村山荘原寸図の前で記念撮影などという一幕もありました。展示の方はシンポジウムの後に見ようと思っていたのですが、「じっくり日を改めて見た方が良いよ」というアドバイスもあり後日に。というわけで、記念撮影のメンバーと「車屋」なる飲み屋で軽くいっぱいやって帰宅しました。

<追記 2005.12.07>
12月6日に展覧会を見てきました。
「吉村順三建築展」

投稿者 yasushi_furukawa : 2005年11月20日 21:00

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