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2006年08月28日

「わたしを離さないで 」---カズオ イシグロ

[books ]

「わたしを離さないで 」
著:カズオ イシグロ 翻訳:土屋政雄 出版:早川書房
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「知らない」と言うことが、かくも切ないことであるのか。

日本生まれ、イギリス国籍のカズオ・イシグロの小説は
精緻な言葉の世界を通して、「知らない」「知らされない」をめぐり
切なく揺れ動く。

主人公、キャシー.Hは
幼少時代を語る。
彼女はもちろん知っている。
けれども、彼女はもちろん知りはしない。

「知らないでいる」ということは、かくも切ないことであるのか。

「知っている」とは何か?
「知らない」とは何か?

そして、僕らはいったい「何」を知っているというのだ。

もちろん、この小説の
「知らない」「知らされない」というレトリックを
そのままレトリックとして受け止めて
まるでミステリ小説のように読み進めると言うことも
それはそれで、間違いではないのだろうけれども
この小説は、レトリック以上の力を持って
何か切実なもの、
甘くも切ない「知らなかった」という閉じた世界を
僕らに、表現してくれる。

小さい頃、僕らはいったい「何」を「知っていた」というのだ。

僕らは、生きていると言うことを知らないで過ごしているのではない。
しかし、僕らは、生きていると言うことのいったい何を知っているというのだ。

この小説の描き出す、「空間」というものが
いかに、切ないものであるのか。
そして、僕らが「空間」と言った時に
そこには、四方を何かで囲まれた場所をイメージしていないだろうか。

僕らは、四方を何かで囲まれた場所に生きているのだ。

生きていると言うことの切なさの根源的がそこにはある。

<以下、小説の内容にふれます>

この小説が、希有な小説であるというのは
主人公達の出生の秘密や、その運命が
少しずつ明かされるという手法によっているのは、間違いではないが
閉じられた世界で生きていると言うことの宿命を受け入れる子供達の姿に
僕らは心打たれる。

臓器移植のために作られたクローン人間達。
施設で育った彼らが
介護人となり提供者となる。
提供も4回目となるとその先はどうなるか・・・・。
2回の提供で、その命を絶つものもいる。
何のために生まれてきたのか、という問いかけは保留にされ
そうした運命を静かに受け入れるクローンたち。
それは、ある種、どんな人でも遭遇している
絶対的な「沈黙」、といえるのではないだろうか。
SFではなく、おとぎ話でもない、生き様の、そのあり方の、確固たるかたち。
受け入れると言うこと。
それが、静かな語り口で
淡々と語られてゆく「沈黙」。

唯一ドラマとして、現れるのは
表題ともなった「私を離さないで(Never Let Me Go)」
これは、ジャズのスタンダードであるのだが、その音楽を聴きながら
枕を抱きしめて踊る主人公の姿を
施設の管理者側のマダムと呼ばれる女性が目撃するシーン。
その涙の意味を、主人公は考え、そして、後日その意味を知ると言うこと。

あの日、あなたが踊っているのを見たとき、わたしには別のものが見えたのですよ。新しい世界が足早にやってくる。科学が発達して、効率もいい。古い病気に新しい治療法が見つかる。すばらしい。でも、無慈悲で、残酷な世界でもある。そこにこの少女がいた。目を固く閉じて、胸に古い世界をしっかり抱きかかえている。心の中では消えつつある世界だとわかっているのに、それを抱き締めて、離さないで、離さないでと懇願している。わたしはそれを見たのです。

また、真に愛し合った恋人達は
臓器の提供を延期してもらえるという神話。

しかし、この小説で、こうしたドラマと呼ばれるものは
いささかも重要ではないということ。

「知らない」「知らされない」というレトリックの力を得て
主人公達の幼年時代が、普遍性を持って語られることこそが
この小説の真髄であるということ。

柴田元幸氏が解説で述べているように
本当に希有な小説だと思った。

<蛇足ー1>
iGaさんは、ここで、取り上げられているスタンダードナンバーのオリジナル音源は、いったいどれだろうということを書かれていた。
Never Let Me Go(MADCONNECTION)
そこでも、コメントさせていただいているが、読んだ後も、僕にはナット・キング・コールの唄った「Never Let Me Go」が響いてくる。
それは、ナット・キング・コールの歌声が、まるで天界の歌声のように響いてくるからでしょう。
小説の主人公達にとって、「外」の世界は
遙かなる憧憬を超えたところにある、妄想的世界であり
その絶対的な、あるいは切実な、その距離感がこの小説の肝でもあります。
ナット・キング・コールの歌声は、この世のものとは思えない響きであり
僕らは彼の声を前にして、妄想的に絶対的な距離感を感じています。
それゆえのナット・キング・コール。

iGaさんの記事には、カズオ・イシグロのインタビューなど興味深いリンクがあります。

<蛇足-2>
この小説を初めて知ったのは、この春に開設されていた「村上朝日堂」であります。
村上春樹も希有な小説として紹介していました。
最近ではRadioHeadなんかもあるもんだから、
「もーっ!何でも村上春樹なんだから!」という声も聞こえそうだが
スガシカオは残念ながらあんまり聞きません。
あしからず。

投稿者 yasushi_furukawa : 2006年08月28日 00:00

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コメント

知る/知らないということが、いろんな構造を持って組み込まれている物語だと思います。分からないように知らされることだけではなく、知った振りをすることや、知らないことを知らないというとか、知らないでよいと思うことや、その他いろいろ。

しかし、まあ、泣かせてくれない。泣けばすっきりしてしまうから、それだけに引っ張ってしまうのかもしれない。

野暮を承知で言いますが、人が人であることを無視され否定され、いつの間にかそのことに従わされ慣れさせられる状況は、彼の描く世界ではなく、私たちの身近にもある。と、近頃手がけている相談を振りかえるに付けても、いつの間にか人はそうすることもあるのだと。

投稿者 ながわ : 2006年09月09日 23:28

名川君も読まれましたか。
「泣かせてくれない」とありますが
この小説が、希有な小説だと思うのは
安易なカタルシスに読者を持ち込まないところだと思います。
今まで、見聞きした物語のどれにも合致せず
どのカタルシスにも当てはまらないことに
読みながら当惑するわけです。
それを可能にしているのは、表現の緻密さだと思うのですが
その緻密な表現により、今までにない物語がここには生まれているのだとさえ思いました。
そして、その物語が表現する世界は
僕らの身近にある世界なんですよね。
そこがまたすごい。

投稿者 fuRu : 2006年09月10日 22:05

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