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2004年05月26日

木の家と大工さんとプレカット

[a-家づくりについて---house_making ]

take_Houseのプレカット図についてのエントリーを読んでくださった
建築家の大先輩でblogの大先輩である秋山さんからお電話をいただいた。
お電話の中でいろいろアドバイスをいただいたので自分なりに消化して整理してみた。

「プレカット」というのは
加工設備の整った工場で
柱や梁などの木材の加工をフルオートメーションで行うこと。
30坪強の一般的な家ならば
一件分の木材の加工が20分ほどで終了してしまう。

さて、僕はずっとプレカットはだめだ、プレカットは使えないと思っていた。
プレカットというのはそれほど安くなかったからというのも、その理由の一つで、
その当時、プレカットの値段は大工さんの手仕事と同じくらいか、ひょっとするとプレカットの方が高かった記憶がある。
それだったら大工さんの手で墨付けして刻んでもらったほうが良い。工務店で仕事をしていた頃のことだ(1996年前後)。

けれども、手で刻むのだから、大工さんの腕に伴い加工精度も変わってくる。見習いの仕事ならばなおさらだ。若い見習いの大工さんは棟梁から加工精度について口うるさく言われていた。
そういう点で、つまりプレカットは加工精度が高く製品の品質が良いという点で、手作業よりも高くなるということだった。

しかし、棟梁が一本一本の材料を吟味して、それぞれの使う場所を定めてゆくという作業、そして、その判断する能力の価値ははかりしれないと僕はずっと感じていた。何百年と語り継がれてきた木と大工との対話がそうした判断をつちかってきたわけで、言葉にならない知恵の母体、知恵の海のようなものがそこにはしっかりある。その厚み、深さははかりしれず、何にも替えがたい。

僕は、良い大工さんと巡り合う機会が多かったと思う。田中文男棟梁とも筑波大学在籍中にお話させていただいた事がある。そうした大工さんたちが、一本一本の材料を大切に大切に使って、建物全体を少しでも長持ちさせるために苦労していた姿が僕の目には焼き付いている。
そんなわけで、一本一本の木の素性なんてお構いなしに、ともかくなんでも機械に通して加工してしまうプレカットは木材を最大限に生かしきっていないと思って、どうしても肯定的になれなかったのだ。

その気持ちはいまでも変わらない。でも、プレカットの値段は安くなった。
安いから使うのか・・・・。それではだめである。僕らには責任がある。家を建てる方々に、胸を張って使ってもらえる建物を造るための最善の方法について、僕らはしっかりとした意見を持っていないといけない。

良い大工さんを探すことが第一。これは変わらない。
そして、大工を育てる環境をつくることも大切な事だ。

そして、もう一つは、良い工法について考える事。
プレカットで金物だらけの家をどうにかして最善の方向に持ってゆくかを考える事もそのひとつだ。
もし、良い大工さんが見つからない場合はどうするか?あるいは、大工さんだのみの家づくりは本当に良いのか?腕の良い大工さんがどんどん減っている現状で、来るべき未来の家づくりはどうなるのか?
僕らの前に課題は山積みなのである。

しかし、やっぱり、少なくとも木の家だったら、プレカットも取り入れず、腕の良い大工さんの手でつくる木の家に勝るものはないと思っている。そういう家づくりが出来た人は幸運だと思う。これからもずっとそういう家づくりが出来ることを願ってやまない。

お電話をくださった秋山東一さんは「Be-h@us」という家づくりのシステムを展開中である。
腕の良い大工さんだのみではない、そして、誰でも参加出来て価格も技術もオープンなシステムを目指しておられる。
「Be-h@us」のもとになっているには「フォルクスハウス」という住宅のシステムだ。僕は「フォルクスハウス」で何軒かの家を設計させていただいた。そして、その根本にある思想に大きく影響された。「フォルクスハウス」がなかったら僕の仕事でも「S_House」や、工事中の「7.dd._House」は生まれなかっただろう。
そういう意味でも、これからの家づくりを考える意味でも「Be-h@us」は一つの大きな可能性のひとつである。

Be-h@us
http://www.be-haus.com/


※新しいホームページで情報更新中!!

投稿者 furukawa_yasushi : 2004年05月26日 11:19

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トラックバック時刻: 2004年05月27日 09:41

コメント

僕は金物の使用やプレカットは良いと思っています。
ただ使う人によって良し悪しが変わってしまうのでは?と深く思う。

金物は昔鉄が高くて使えなかった代物、
職人達の知恵をかりて考えれば良い金物は作れるし
プレカットに対しても、大工職人みたいな方達がプレカットしたら
良い軸組みになるのではと思う…、
最近は手刻みといっても、それなりの電動工具は使うわけだし…。

もともとダメなものなんて無くって使い方使う側の問題かな。

ただ、最近の伝統工法と言っている建物、
彫って差し込めば伝統工法か?と思う建物も多いような気がします。
そう思うと、普通のプレカットでも良いのではと頭をなやませ…、

僕も良い大工にめぐり合えた口、
良い物見てきただけに余計に頭を悩ませ、むつかしくさせます。(-o-; フー

投稿者 ひなよし : 2005年11月25日 16:55

ひなよしさん
手刻みがすべて良いわけではないですよね。
腕の悪い大工の手刻みは、継ぎ手がゆるゆるで、ちょっと怖い時があります。
でも、その緩さをあとから直せるのが木造在来工法の良いところでもあるのです。
ひとつがだめなら全部だめということではなく、全体的に最後に完成した姿の時に大丈夫かどうか。
そうした総合的な判断も大工の腕のひとつでしょう。
腕の良い大工があってこその手刻みなんですよね。

腕の良い大工というのは、職人気質で自分の仕事に自信と誇りを持っている大工でしょう。
そして、腕の善し悪しは、客観的に評価できる世界ではなく
経験的に、実績を証拠として語られることです。
僕は、良い大工を評価するのは性善説にもとづいていると思っています。
まずは、大工の世界を信じるところからしか始まらない。
こちらが信じるから、向こうも答えてくれる。
そういう世界で大工の腕の良さは成立しているのです。

最近ちまたを騒がせている、構造計算偽造(2005年11月)も
偽造された配筋は、誰が見たって常識を逸脱しています。
鉄筋加工の職人さんなら誰だっておかしいと思う配筋、
現場監督だって絶対におかしいと思う配筋、
意匠設計者だって絶対におかしいと思う配筋。
気がつかないで施工してしまうという、その世界に恐ろしさを感じます。
大工の腕の良さをささえているところの
性善説を根底から破壊してしまうような出来事です。
今回の事件で、一番怖いと思ったのは
ものを作る現場そのものが破壊されてしまうのではないかということです。
プレカットを生かすとかそういうレベルの問題でないのが本当に怖いです。

投稿者 fuRu : 2005年11月29日 19:27