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2004年06月25日

「助六由縁江戸桜」

[映画・ドラマ・舞台--movie/play ]

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「助六由縁江戸桜」
市川新之助改め11代目市川海老蔵襲名披露に行ってきた。

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歌舞伎は10年ぶりだ。
20代中頃から歌舞伎にはまり、ずっと観続けていた。
まあ、結婚して奥さんが歌舞伎にそれほど興味を持っていなかったことや
だんだん、本格的な歌舞伎の面白さがわかってきたので
毎月歌舞伎座に通う足も少しずつ遠のいていったというところか。

昨日の歌舞伎座は大変な人入り。
僕は幕見でと思って出かけたのだが、幕見席も定員オーバーとの事で
せっかく出かけたのにあわや観れずに帰宅か、というところ
何とか潜り込めたのは幸いだった。
聞けば昨年の12月から幕見席も定員厳守になったそうだ。
僕が通っていた頃は、人気演目はすし詰め状態で身動きが取れない事もあった。

写真は幕見席から撮ったもの。
幕には「十一代目市川海老蔵」の名前が見える。

さて、助六だが
意休に足でたばこを勧めるところなんか
もうすこしふてぶてしくやっても良いのかなと思った。
このふてぶてしさが助六の魅力なのだから。

とはいえ
「そりゃまた、なーんのこった」のくだりなんか
さまになっていたし、
豪華な共演者、とくに揚巻を演じる玉三郎の存在感は他にくらべるものがない。

海老蔵は以前に観た団十郎の助六を一生懸命会得しようとがんばっている感じ。
歌舞伎の世界で親子、血縁は深い。
考えればあんな荒唐無稽なお芝居の世界、身体に染みついたもので勝負するしかないだろう。
練習したって追いつかない、空気のようなもの。
生まれたときからその世界にいる人にしか出来ない、そういう世界。
それでも、昔観た歌舞伎の舞台と比べて
何だか緊張感の質が変わってきているのかななどと感じながら観終わる。

幕観席からの長い階段を下りながら、もうちょっと満足感がなかったのはなぜかと思ったりして。

今は亡き歌右衛門の舞台。
僕は国立で正岡を観る事が出来たのだが、その舞台に感じたある種の緊張感。
それは歌右衛門ばかりではない。
吉右衛門の熊谷陣屋の舞台にも、太閤記十段目の舞台にも
共通して感じたある種の緊張感。
これこそが歌舞伎の醍醐観だと思うと、その他の舞台が陳腐に思える。
まあ、しかし。そういう舞台はなかなかお目にかかれるものではない。

でも、ちょっと、今回の助六には期待していたのかな。
海老蔵、もうちょっと。でも、きっと大輪の花を咲かせてくれるだろう。
いちフアンとして期待しているのでした。


※新しいホームページで情報更新中!!

投稿者 furukawa_yasushi : 2004年06月25日 10:28

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