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2004年10月25日

「小椋佳の世界」-NHKアーカイブス

[音楽--music ]

NHK-archives.jpg

NHKでは日曜日の深夜(正確には月曜日)に過去の番組の再放送をやっている。
新聞などのテレビ欄には「NHKアーカイブス」とあるのがそれだ。

10月24日の放送は
「小椋佳の世界」だった。

それにしてもみなさん「小椋佳」って知っていますか?

1975年(昭和50年) 布施明が「シクラメンのかほり」で日本レコード大賞受賞。
その作詞作曲を手がけたのが小椋佳という人。
当時は「シンガーソングライター」というのが一世を風靡していまして
これは、自分で作詞作曲して自分で歌うというスタイルなんですが
小椋佳は、井上陽水、吉田拓郎とともに
シンガーソングライターの御三家と言われたりしていました。

小椋佳は他の二人とは違ってレコードは出すのですが
人前で歌うことをしないというちょっと特異な存在でした。
銀行員であったこと、自分の容姿に自信がないということ、がその理由で
表に出ないことを戦略的にやっていたわけではありません。

その小椋佳が「シクラメンのかほり」や、それに続く「めまい」や「揺れるまなざし」が大ヒットしたために
最初のコンサートを開くことになりました。
1976年10月のことです。
最初のLP「砂漠の少年」が1971年1月に発売されましたから
6年近い沈黙を破ってのコンサートでした。

このコンサートはテレビで放映され
ラジオでは途中のおしゃべりのところまで含めてほとんどノーカットで放送されました。

1976年。そこには中学生の僕がいます。13歳。
「13歳のハローワーク」

そして、「小椋佳の世界」という番組は、この最初のコンサートまでのドキュメンタリーです。
僕はこの放送をリアルタイムで観たのです。
テレビ番組を録画することなんて夢の夢だった時代の番組。
その番組が28年後の今、再放送されたのでした。

僕にとって小椋佳が特別な存在になったのは
どうしてだろうかと考えます。
たしか、兄がラジオでエアチェックしたこのコンサートのテープがあって
なにを考えたのか、僕は小椋佳の歌詞をテープから聞き取って紙に書き留めたのです。
そして、僕は紙に書いた文字を読んで驚いていたのです。
歌の歌詞というのは歌謡曲のものしか知らなかったし
いわゆる「詩」というやつは、国語の教科書に載っているものしか知らなかった。
小椋佳の詩は、そのどちらでもない。
そして、その言葉を歌っているんだかしゃべっているんだかわからないような感じで歌う
その独特な世界に、僕は強く引かれました。

これが、僕の音楽原体験でもあるのです。
音楽と言葉によるメッセージがひとつになっている世界をその時に知ったのですね。

僕はギターを抱えて歌をつくり始めました。
カセットテープに録音したりして。その恥ずかしいテープは今でも残っています。

僕の小椋佳時代は
レコードで言うと
「遠ざかる風景」-1976.01
「渡良瀬逍遥」-1977.04
「5・4・3・2・1・0」-1977.09
「心の襞」-1977.12
「風の鏡」-1978.06
までです。レコードは「砂漠の少年」が廃盤になっていたのでそれ以外はそろえました。
良く聞いたのは「残された憧憬」でしょうか。
このレコードは細野春臣がベースを弾いていたりするんですが
いわゆる詩的な言葉からほど遠い言葉を使って語っているのが良いですね。
しかし、「風の鏡」以降は小椋佳から離れてゆきます。

それは、小椋佳を出発点にして僕の音楽的な興味がどんどん広がっていったからです。

音楽に興味が出てくるとFMラジオを聴くようになります。
兄はビートルズのレコードを買ってきました。
FMラジオでは渋谷陽一がレッドツエッペリンを流していました。
女の子はベイシティ・ローラーズに狂喜乱舞していました。
僕のアイドルは その時はすでに解散していたビートルズと
活動を休止していたレッドツエッペリンになっていたのです。

小椋佳倶楽部(公式ホームページ)

□小椋佳のこと書いている人 他にもいました。

<お目だるいお話>
omedarui.exblog.jp
「うぉ〜、懐かしい!」


※新しいホームページで情報更新中!!

投稿者 furukawa_yasushi : 2004年10月25日 11:26

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コメント

「お目だるいお話」のオオカミと申します。
Tbackありがとうございました。懐かしいエアチェックのテープを想い出します。小椋氏もガンの闘病で以前の面影もありませんが、ぜひ歌い続けて欲しいと思います。
今にして思えば、あのコンサートの楽屋でもあった、”すぐにスパスパ”というのがいけなかったんでしょうね。

投稿者 オオカミ : 2004年10月26日 19:19

オオカミさん こんにちは
ブログの世界は広いのだけれども
小椋佳のフアンを探し出すのは容易ではないことを発見しました。
これからもよろしく。

それにしても、あんなにたばこを吸っていたんですね。
当時としてはそれほど違和感がなかったのでしょう。
今どきの感覚からするとちょっと戸惑ってしまいます。

投稿者 古川泰司 : 2004年10月27日 09:34

古川さん、こんにちは
TVをつけたら「小椋佳の世界」をやっていましたが
前に見たからいいやと思って見ませんでした。
前ってそんなに前でしたっけ!
「光陰矢の如し」

投稿者 落合雄二 : 2004年10月27日 15:48

落合さん
そんなに前ですよ。
28年前・・・・。

投稿者 古川泰司 : 2004年10月27日 15:58

こんにちは
そんなにファンじゃないのですが偶然半分くらいみました。(半分でゴメンナサイ)
でも「花様」CDもってます。
小椋佳の歌う「愛燦々」とても好きです。

ライブの様子はやっぱりって感じで素朴でしたね。
上野公園をあのジャージで走っていたのも笑えました。

投稿者 ishikaawa : 2004年10月30日 16:00

やっぱり、あれは放送当時も相当変だったという記憶があります。
コンサートのためにジョギングするとか
ishikawaさんも指摘するあのジャージ姿とか
第1部のステージの衣装とか。
僕は変なものに心引かれるんですかね。

投稿者 古川泰司 : 2004年10月30日 16:15

足かけ4年前の記事にコメントさせていただくのもなんですけど...
地元近くにあるNHKアーカイブスで、この番組を見てきました。
あれから32年が経過。少年のころにとって印象的でした。

投稿者 キャン009 : 2008年06月12日 22:18

キャン009さま
コメント、ありがとうございました。
この記事を書いたのが2004年の10月でしたね。
3年半以上前。
どんどん時間はすぎてゆきますね。
こうしてコメントをいただけると、その時の思いまでもが湧き上がってくるようです。
あの小椋佳のNHKコンサートは同時代的に共有されている方も多いようで、そういう方にあうたびに嬉しくなります。
今後ともよろしくお願いいたします。

追伸
当ブログのTB機能が壊れていまして受け付けてくれないためにお手数をおかけしてしまったようですみませんでした。

投稿者 fuRu : 2008年06月13日 10:00