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2006年03月16日

「大森林の小さな家」

[報道・TV--topics ]

ETV特集で「大森林の小さな家」というのをやっていました。2月25日の放送だったので、ずいぶん経ってしまっていますが、やはり一つの記事として書き留めておこうと思います。

このドキュメンタリーの背景にある林業の危機については書きません。
番組のなかでも、たった一人分の賃金も払えず
山の手入れを放棄するという切実な話も出てきます。
番組で紹介されている野尻さんも、そのためにリストラされてしまうのです。
何ともせつなく切実な話。
林業の、そんな暗い一面を紹介しながらも
この番組では
森の恵みに囲まれている生活する野尻さん一家の様子がすてきでした。
経済的には大変なんだと思うのですが、その姿は森の恵みで癒されているようで輝いて見えました。
自然に癒される生活ほど、街中に住む僕らが見失ってしまったものはないでしょう。
野尻さんの生活にはそれがちゃんとあると思いました。

僕の両親も、日頃は足が痛いとかいっているのに
春と秋の山菜の季節には、人が変わったように山を駆けめぐっています。
そんな両親の姿を見ていると、自然とのつながりに、僕らは大切なものをえているのだと思うのです。

魚取りよりもテレビゲームが面白いという子供達も
10年後にどこに住んでいますか、と最後の質問に
やっぱり、ここにいると思う、と答えている姿が、ほのかな余韻を残しました。

さて、もう一つ書き留めておきたいこと。
それは、そうした森の恵みについて野尻さんはこう考えているということを知ることが出来る、大変興味深いエピソードです。

ニホンミツバチ、いわば和蜂といわれる蜂で、セイヨウミツバチに比べて身体が小さい。どちらも蜂蜜を採取するために飼育されるのですが、セイヨウミツバチの方が採取量が多かったり、飼育しやすいということで、ニホンミツバチは蜂蜜産業からははずれ、ごく個人的に山間部などで飼育されるにとどまるようになりました。

ニホンミツバチ

実は、Tana_Houseのご主人のご実家の設計を依頼され山口県に行ったときに、ニホンミツバチを飼っておられるのを拝見したことがあるのです。見慣れたセイヨウミツバチと違い、その小振りな姿に目を見張ったものですが、そこでいただいた蜂蜜のおいしかったことは忘れられません。食べ慣れたセイヨウミツバチの蜂蜜のようにしつこくない素直な味がとても素敵だったのです。

さて、野尻さんもニホンミツバチを飼育しています。その年、一升瓶に50本もの蜂蜜を採取することが出来たのだそうです。これは、大変な量ですね。なかなか採れないものだから貴重品です。市場に出れば高値で取引されます。1升2万円。
蜂蜜を現金化して、家計の足しにすればいいのに、と誰もが思うその時、
野尻さんはこう答えます。

「2万円は2万円でしかないと、思うのよ。それよりもわしは、日頃お世話になっている人にあげて喜んでもらえる方がよっぽど価値があると思う。」

そういえば、僕の両親もせっせと山菜を採ってきては近所の人に配っていました。
そんなことを思い出しながら、
貨幣中心主義に、知らず知らずのうちに飲み込まれてしまっているのではないか、自分自身も、と自問自答しました。

人と人のつながりということの大切さ、
それを森の恵みでつないでゆくということ。

野尻さんが守り続けている「たいせつなもの」の核が、そこにはあると思いました。

そして、それは、僕らにとっても見失ってはならないものなのです。


※新しいホームページで情報更新中!!

投稿者 furukawa_yasushi : 2006年03月16日 09:19

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トラックバック時刻: 2006年07月14日 02:01

コメント

fuRuさん、記事お書きいただき、どうもありがとうございます。
「2万円は2万円でしかないと、思うのよ。それよりもわしは、日頃
お世話になっている人にあげて喜んでもらえる方がよっぽど価値
があると思う。」ここのところ、素晴らしいですよね〜、本当に!!
fuRuさんの「人と人のつながりということの大切さ、それを森の恵
みでつないでゆくということ。」というところにも感動したぞ!!
私の専門は環境社会学という分野のなのですが、環境について
考えるときに、「人と自然の関係」、「自然を媒介とした人と人の関
係」、「この2つの関係がどのように連関しているのか、していない
のか」、そのあたりのことを注意しながら仕事をしているものですか
ら、fuRuさんも似たようなことをお考えになっていな!!と思ったのでし
た。

投稿者 わきた・けんいち : 2006年03月16日 13:40

わきたさん。
中国出発前のあわただしいときだと思うのですがコメントありがとうございます。
わきたさんが、以前、どんぐり村のことを書かれていましたよね。
http://blue.ap.teacup.com/wakkyken/339.html
それを読ませていただいたときに、同じ思いでおられる方だなと感じました。
その時は、自己紹介もちゃんとせずに、コメントさせていただいていましたね。
建築という行為は、自然にあらがうことも自然に従うことも出来ます。
今は、経済性しか目に入らないために、自然を無視する方向で計画が進んでしまうことが多いですよね。
ふたつの森の思想というのは、そのことを的確に指摘されていると思いました。
まあ、そういう意味でも「同志」だなと、若輩ながら勝手に思っております。(^_^)。

投稿者 fuRu : 2006年03月16日 16:39

いや〜どうもfuRu同士。
そういっていただくと、なんだか嬉しくなってきますよ!!
こんどお会いしたときには、千葉の林業家とのコラボ
の話しを教えてください。

どんぐり村、いいですよ〜。
fuRuさんは、学生時代にワンゲルに所属されていたの
でよくご存知だと思いますが、東北の森はいいです。
西日本で育った私には、森といえば照葉樹林でしたが、
40歳を過ぎて住んだ北東北の森は、それとは違う魅力
がありました〜。

投稿者 わきた・けんいち : 2006年03月16日 19:24

ご訪問ありがとうございます。
まったく、同感です。私の場合、兼業ではありますが農家でもあり、いわゆる自然の中で暮らしています。
そして、ちょっと語弊があるかもしれませんが、お金に対する執着心がかなり薄いと思っています。まあ、生活できればいいやぐらいかもしれません。
子どもたちには、物より思い出を..という考えで接するようにしています。物を買い与えるよりも、いろんなところへ行って、いろんなものに触れ・感じることを大事にしてあげたい。
休耕田の一部をいつも自家消費用の畠にして、一緒に野菜を作ったりしています。じゃがいもの畝であれば、自分の名前の札をたてたり、トマトやピーマン、スイカなども僕の分、おねえちゃんの分とか言って苗をかってきたりしています。

そして、今ある田圃は、絶対子どもたちに引き継ごうと思っています。
それが、最低の役目なんだろうなあと。

投稿者 けんとまん1007 : 2006年03月17日 03:47

けんとまん1007さん コメントありがとうございます。
なんだか、けんとまんさんの生活は僕のあこがれの生活に限りなく近いですね。
うらやましい、なんていうと失礼だとは思いますが
ブログを拝見させていただいても、それが家族への愛情と重なってこちらに伝わってきます。
富山県の「きんたろう倶楽部」、成功するといいですね。

投稿者 fuRu : 2006年03月17日 09:50